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静けさと海

11月5日。

静けさと海

数日前に遥々1人暮らしの家から私の住む街へとやってきた友人がいた。
新幹線で6時間。お土産とキャリーケースを持って。


高校を卒業するときに「絶対に遊びに行くから!」と何度も言っていたけれどそんな口約束は大体叶えられないと思っていたから4年もたっても達成されてない暁にはそんなもんかと少し悲しさに至ってた。
そんな悲しさを持っていたからか、彼女から私の住む街に行きたいという連絡があったことは私にとって嬉しさとこれは本当に叶えようと思っていた方の口約束だったのだと思った。


「着いたよ」
という連絡を受け取ってから彼女と近場のカフェに行き、街で有名な夜景スポットに行った。珍しく記念写真を隣にいた夫婦に撮ってもらってから近くにあったベンチで喋った。
たまに沈黙、たまに喋る。


次の日は朝からバスに乗って温泉に行った。
その温泉は近くに海があって露天風呂に入るとそれが一面に広がってる。
私たちはほとんど人がいないその露天風呂に浸かった。
「なんかさ露天風呂で景色見てると虚無になるんだよね」
と彼女は言っていた。


脱衣所は2人だけだった。
私は髪を乾かしながらふと、ドライヤーの音しかしないことに気づいた。
2人とも隣にいるけどお互いの存在を忘れてる感覚。空気みたいな。
「この静けさ、側から見たら喧嘩中の2人よね」
というと
「全然気づかなかった。高校の時他の友人から『2人って本当に仲良いの?』って言われたことあるよ。仲良いのにね。」

と言って、何か喋るわけでもなく髪を乾かしてた。
帰りのバスも行きのバスも1番後ろに座ってお互いイヤホンつけて自分の世界に入ってく。

当たり前だと思ってたけど
この静けさはいつからかお互いが信頼をおいてる証だったんだと6年経って気づいた。

脱衣所を出るときに
「こんなに沈黙でも何にも気まずさを感じないのって家族くらいだよ」
って彼女が唐突にいうもんだから
「いや、家族ではないよ???笑」
と答えた。

その後、彼女は何も言わなかった。
彼女は私のことを褒めることなんて滅多にないけどさ、その言葉は本気で想ってるんだなって伝わってきて心底嬉しかった。

***

メッセージ

高校生くらいから必須のsnsツールになったインスタグラム。未だにそのツールは殆どの人の携帯にある。

私は消して入れてを高校生くらいから繰り返していた。消す理由は他人に見られることに抵抗を感じること、入れる理由は他人の話題についていけなくなることだった。
大学3年の春頃に遂に自分が将来への準備期間に入ることを理由に消してしまおうと思い立ち、友人と繋がっていたアカウントを全て削除した。
アカウントを削除すること自体は高校3年生以来2回目だったから不安はなかった。

何百人もいた知り合い達はあっという間に消え去り、今では殆どが今は何処で何をしているかも分からない懐かしい人になっている。

今まではインスタのストーリーにたまに反応してくれる誰かとも少しばかり仲がいいもんだと思っていた。
でもそれはそのツールがないならば連絡を取るほどでもないという簡単に繋がり、簡単に切れる関係だったと知った。けれど、私との繋がりをそれがなくたって持とうとしてくれる人もいた。

今でも連絡をとる友人達は、集まったときに
「就職が決定したらサブ垢のストーリーにあげるけど、百はしてないからLINEのグループで最初に全員報告しよう」
と言った。

就職活動を終えた彼女は、
長文の近況報告LINEとともに「百の近況も知りたいから電話しよう」と言った。

大学の友人は旅行に行っている最中ですら
「ここにきたよー」と聞いてもないのに写真を送ってきた。

サブ垢で読書記録をあげている同期は、
「インスタやめたなら、サブ垢にあげた記録を随時送るね!感想ちょうだい!」
と言って、定期的に投稿の写真を私に送った。


グループラインに届くその報告も近況を教えてという言葉もリアルタイムで届く旅行記もつい熱い返信を送ってしまう読書記録も私にとって嬉しくて大切なメッセージだ。今でも見返したくなるくらい。

どうしてだろう。いいねを押すだけで終わっていたそれらの知らせは今では私にいつもより時間をかけて届くあったかいものになった気がした。 そんなことなのかもしれないけれど私にとって抱きしめたくなるような気持ちをくれたから。
だから私も時間をかけて大切にするよ。

****

言葉にして


大学3年で仲良くなった彼女は
自分のことをあまり話さない子だった。
ご飯に行こうってなっても「〇〇に行きたい」と提案する私に「いいよ!いこう!」と言って来てくれるだけだった。

私は彼女と関わっていく中で「本当に行きたいところないのかな?って思うよ」と伝えたことがある。けれど彼女はあまり自分のことを口に出さないから、私が伝えた言葉にも「うん!」と明るく答えるだけだった。


でも、彼女はいつからか「今度〇〇に行きたい!」と言ったり、「これ一緒に買ってみない?」と書店にあった誰か宛の手紙を一緒に買うことを提案してきたりするようになった。

私がゼミでの発表がうまく行かずに落ち込んでいると「そんなに落ち込んでる暇ない!〇〇らしくない!」と私のダメなとこまで伝えてくれた。そんな風に誰かに言われたのはいつぶりかというくらいで、私は驚きよりもこの人はちゃんと言ってくれるんだと一層大事だと思った。

今では私が話すよりも彼女が話す量のを方が多くなっている。
「たった1年でこんな素が出せるなんて運命だよ!!」って柄にもなく熱く語る彼女。数年前"運命"っていう言葉を恥ずかしげもなく言っていた自分を見ているような気持ちになる。

けど、やっぱどんなに自分が嘘くさいと思ってる言葉でも面と向かって伝えられたら嬉しかった。


後少しの大学生活。
遠い国への旅でも近所の中華屋でも何処でも行こうね。

運命かはわかんないけど、出逢えたことに心から感謝してる。


****

赤が世界で1番似合う彼女


彼女は私が大学1年生の時からの友人。

ただ、それを証明しろと言われるとできないだろう。
だって、毎週行くランチでもお互いきついことが終わる度に食べに行くトンカツ屋でもたまに朝から集まっていく映画でもカラオケでも全く写真を撮らないから。

夢中にで話して無言で食べて、連絡取らない時期はとことん取らない。

4年間数えきれないくらい語り合った仲。
あるとき、彼女から
「百が言ってくれた言葉で本当に忘れらないくらい嬉しかった言葉があるんだよね」
言われた。
「なんて言ったの?」と言うと彼女ら「そんなこと?って思われそうで恥ずかしいから言わないけど、本当に嬉しくて多分忘れないと思う」
と笑ってた。

伝えられるまで知らなかった。知るはずがないけれど。私は誰かとの会話の中で自分が忘れられないくらいの言葉なんて殆どない。
特に良い意味の言葉なんて。自分の言葉が誰かの心の支えになってるってことが嬉しかった。


だから、私も考えてみた。彼女から受け取った言葉の中で忘れらない言葉ってあるかなって。

そしたら同じように自分で言うのが恥ずかしくなるようなのだった。

「百の笑顔は本当に世界救うと思う!私は百の笑顔不足になることあるの!」


彼女はこのセリフを真剣な表情で周りの友達がいる中でも言う。

「嬉しいよ、笑っていようって思うよ」

って思ってるなんて益々恥ずかしいから言わないけどね。

これから先もお互い真っ直ぐに伝えて来た言葉が辛いときの支えになりますように。


私も貴方からもらった言葉を忘れないと思うよ。


***

あとがきみたいなもの


ふとした時の寂しさも孤独も日常のたった少しのことで乗り越えれることがある。

でも、私を救ってくれた出来事も言葉も時間が経つにつれて忘れてしまいそうになる。
何処かで支えられてるはずなのに。

だから、
優しさをくれた懐かしい人
終わりたくないって想った幸せな気持ち
そんな記憶を想いだす、誰かのきっかけになればいいなと思っています。



ここまで読んでくれて

本当にありがとう。



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百
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