「なんでこんなことが起こるのか」「なんでこんな気持ちにならなきゃいけないのか」ということについて理由を知りたくなるのは、人の悲しい性だと思いますが、それに対する明快な答えはこれだと思います。

「今はそれを見よ」

どんな理由があるにせよ、それが目の前に現れて、なにかせざるを得なくなってしまうことには「縁」としか言いようもないことがあるものだということを、過去に聖人と呼ばれる人たちが言い尽くしています。

理由を求めるのは無駄なことであり、起こることが必然であって、そのことは避けようもない事実であり、また自分が優れていたから成果を上げられたわけでもなければ、ポンコツだからそんな風になってしまったわけでもなく、ただそれを見るべき機会に出遇った、だからそこに居てそれを為すことになった、それだけのこと。

良い悪い、望む望まないに関わらず、それはやってくるし、そこに自分は辿り着く。そのことが悲しくて嘆くのも違うし、ドヤって図に乗るのも違う。ただ、今はそれを見よ、というだけ。


というわけで、諦めて、今はただそれを見ましょう。

急に読者の方からサポートもらえてマジで感動しました。競馬で買った時とか、人にやさしくしたいときやされたいとき、自暴自棄な時とか、ときどきサポートください。古民家の企画費用にするか、ぼくがノートで応援する人に支援するようにします。