自粛期間というより充電期間としたい
毎年ながら、4月〜5月はいつも調子があまりよろしくありません。
まあ調子が悪いというか、思い通りにいかないことが多くなるというのが正しいかもしれません。そういう時期であることを37年の時間を経て、少しは理解をしてきているつもりです。
なので春先に自分が心身どちらにおいても、何かしらの疲れるような気持ちを持つとしたら、完全にそれがわかっていながらの失敗ですのでこの時期の落ち込みについてはもはや凡ミスといえるレベルです。対策可能なのです。
なので3月31日からブログでしきりに「4月は生きるだけで十分」という目標を高らかに宣言しているのも、周囲に少しずつその情報を共有しようとしているのも、この時期が自分にとってあまり自他共に期待通りに過ごせないという自覚があるからです。昨年は重々注意して過ごしたため、かなり穏やかに過ごせた自覚がありますけれども、今年もなにがあるかわかりませんので警戒して過ごしておきたいと思っています。
わりと占いや算命学やらを大切にするタイプです。僕はこれ。
家族の中でも一人だけ何処と無く似ていない、など、家庭内でも個性的な子供として周囲に映ります。もともと、「家系からはみ出る運」を持っているため、家系の枠に収まることなく、独自の世界観を確立していく人なのです。
まさにこれ。何処と無く似ていないわけでもないのですが、父親と顔はそっくりな割に、父親・兄貴たちとの人生の歩み方がまったく違うのです。大きな組織でずっと働くことができる人たちと違い、最初の会社を6年でやめてからはフリーランスでひょいひょいといろんなことを経験して生きてます。
まあ、そんなわけで4−5月がどうも調子が上がってこない自分なのです。こういう特徴をわかったうえで自分にムチ打つのは違うなと思うので、この時期はなんせ穏やかに過ごし、なによりもご機嫌よく生きることを最重要目標と据えておきたいなと思っています。
「いつもどおりご機嫌を大切に」ではないのです。
「いつも以上にご機嫌を大切に」です。
今日もブログをちゃんと書けただけで素晴らしい。
これでええねん。十分やねん。穏やかな春やねん。
急に読者の方からサポートもらえてマジで感動しました。競馬で買った時とか、人にやさしくしたいときやされたいとき、自暴自棄な時とか、ときどきサポートください。古民家の企画費用にするか、ぼくがノートで応援する人に支援するようにします。