生き続けること、創作し続けること

創作に限った話ではないのですが、「太く短く生きる」という人生観を聞くことがあります。

つまり、「世の中にものすごいインパクトを残せるのであれば、早死にしても構わない」という考え方です。

確かに、例えばモーツァルトは35歳で世を去りましたが、その名声は現代に至るまで衰えていませんから、その主張にも説得力があるようにも思えます。

しかし、新しいものが次々と生み出される現代では、たとえ一時的に世の中に大きな衝撃を与えたとしても、そのインパクトはすぐにかき消えてしまうかもしれません。

ですので、僕は「太く短く生きる」とは逆に、生き続け、創作し続けることだけが、その人の名声や生み出したものの評価を保つ唯一の方法なのだと思っています。いくつかのビデオゲームの歴史から、その例を挙げたいと思います。

飯野賢治と小島秀夫

ビデオゲームクリエーターである飯野賢治と小島秀夫には、同時期に頭角を表し、また、どちらも既存のビデオゲームの枠を突き崩すような作品作りを志向したという点で共通点があります。

違いがあるとすれば、小島氏は現在も精力的に作品を作りを続けているのに対し、飯野氏は2013年に急逝してしまったことでしょう。

小島氏の作品にはいまなお多くのプレイヤーがいます。初代『メタルギア』といった旧作もリマスターされ、現世代の環境で容易にプレイすることができます。

一方で、飯野氏の『Dの食卓』『エネミー・ゼロ』といった作品を現在プレイするのは難しいです。(例外的に『リアルサウンド〜風のリグレット〜』はオーディオブックとして復活しましたが)

飯野氏が今も健在で新作を発表し続けていれば、それによって旧作のリマスターが実現する可能性もあったと思います。しかし、実際には、飯野氏の作品たちは「生きた作品」ではなく「ビデオゲーム史の中の化石」になってしまったのです。

『VA-11 Hall-A』と『Coffee Talk』

『VA-11 Hall-A(ヴァルハラ)』(2016年)は、「バーテンダー系ビジュアルノベル」とでもいうべきジャンルを創始したパイオニアです。

一方、『Coffee Talk』(2020年)は本作の直接的なフォロワーといえる作品です。獣人やエルフなどさまざまな種族が入り混じる架空のシアトルを舞台に、カフェでの仕事に勤しみます。

着実に作品を重ね、2025年には3作目『Coffe Talk Tokyo』も発売予定の『Coffee Talk』に対して、『VA-11 Hall-A』の勢いには翳りが見られます。

続編である『N1RV Ann-A(ニルヴァーナ)』が発表されているのですが、発売の目処は立っていません。

そのため、最近は『Coffee Talk』が本ジャンルの代名詞的作品として扱われ、パイオニアであったはずの『VA-11 Hall-A』は影が薄くなってしまっています。

これもまた「作品を発表し続けねば忘れられてしまう」ことの一例だと感じます。

おわりに

僕は普段ビデオゲームについてあれこれ考え、それをこのように文章に綴っているわけですが、これが「創作活動である」などと、大それたことを考えているわけではありません。

しかし、僕にとって、大切な自己表現の手段であることは確かです。

日々の忙しい生活の中で、自分の好きなことを続けてゆくことは、時に難しく思えます。

それでも、「生き続け、自分が好きなことを続けることが大事なのだ」と強く感じます。

創作に関わる方々だけでなく、全ての人にとって、2025年がより良い年になりますことを願い、今年の締めくくりとしたいと思います。

お読みいただき、ありがとうございました!

2024.12.31
Itaru Otomaru (@itaruotton)

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