人材開発の黒歴史を紐解く
友人が有志を集めて行った読書会で「心をあやつる男たち」という本を取り上げ対話を行いました。人物名や企業名が実名で登場し、生々しい話で人材開発の黒歴史とも言える内容を書いてある本です。
書かれているのは半世紀ほど前に実際にあった話ですが、1993年にノンフィクション小説として出版され、その後絶版になっています。文庫版も新書版も中古でしか手に入りません。
現代においては、ここに書かれていることが日本における組織開発の失敗例であり、「組織開発」という言葉に対して構えてしまう人々を作り出す要因の一つにもなっていると言われています。故に「黒歴史」なのです。
何か書かれている本なのか
時は高度成長期のピークを超えた昭和四十年代。人材開発に新しい流れを取り入れた人たちの物語です。
当時は「猛烈特訓」と呼ばれる半ば軍隊式の企業研修が行われていた日本ではありましたが、そのやり方に限界を感じていた人たちが米国で開発されたラボラトリー・トレーニング(日本語に敢えてすると実験室型研修)に刺激を受け、日本の企業向けに研修として実施してゆきます。
「チェンジ体験」と呼ばれていたそれは、研修施設に数日間缶詰にされてひたすら自分自身を向き合う経験を通じて人の意識を変革するものでしたが、場合によっては暴力も辞さないトレーナーや参加者同士でも飛び交う言葉の暴力で自殺者を出すような内容でした。それでもそれは表沙汰にそれほどならず、企業は人を送り続けていたのです。
本の中でもう一つ取り上げられているのは俗に言う「自己開発セミナー」です。こちらはマニュアルに沿って仕組まれた感動体験を引き起こし、それを通じて人の中に肯定的な信念や価値観を醸成することができますが、一方でマルチ商法的なところもあり、一度入り込むと抜け出すことができなくなってしまう人もいることから社会問題にまでなったものです。
本の中では、チェンジ体験の元となる「感受性訓練(ST = Sensitivity Training)」と自己開発セミナーが日本にどのように入ってきて、どのように解釈され、広まってい何を起こしてしまったのかがそれぞれの当事者の視点から細かく描写されており、当時の実際の情景が浮かんでくるようです。
「感受性訓練」と私
私は2002年から人事部所属となり、人材開発が自分の仕事となりました。最初は営業人材の開発から着手しましたが、後に人材開発全般を担当することになりました。
当時の上司は事業部長経験者で定年前に人材開発に注力するために人事部に移動をしてきた人でしたが、その上司が感受性訓練(以下ST)を「二度と行ってはならないもの」として話していました。
彼の言葉では、「何日間も研修所に缶詰にし、トレーナーは受講者を放置してわざと彼らの中に葛藤を作り出す。そこで参加者は自分の感情と強制的に向き合わせられるが、場合によっては暴力まで駆使して人格を作り変える…人間を崩壊させるプログラムだ」とのことでしたが、話を聞いてもなぜそんなものが横行していたのかはその時は理解できませんでした。
しかし、振り返ってみると自分が新入社員だった頃(1980年代)に研修に行くからしばらくオフィスに来ないと先輩社員に伝えると、「禊か」とせせら笑いと共に言われていました。つまり、それ以前の世代にとっては研修とは「禊」のように「心構えの入れ替え」を行うものであったのだと言うことです。
感受性訓練の危険性
本書の中で紹介されているチェンジ体験と自己開発セミナーは、いずれもが個人が自分と向き合って変革するプログラムですが、共通の特徴があります。
「チェンジ体験」はアイデンティティ(受講者の自己意識や人格)を一度壊して再構築します。また、「自己開発セミナー」はアイデンティティのない人間にマニュアルに沿って新しいアイデンティティを吹き込むようなことをします。
つまり、両方ともアイデンティティを扱い、働きかけるのです。
人材開発の仕事が長くなり、心理学やセラピーを学ぶと、アイデンティティの操作は危険極まりないものであることが分かります。通常のセラピーや心理学では「価値観」や「信念」の書き換えをすることはありますが、自己意識(アイデンティティ)そのものを扱うことは人格の崩壊につながるので余程の訓練を積んだプロのセラピストでも避けるものなのです。
本書の中で注意深く見ると、主人公の堀田が人に関わる時には、人格を否定するもの(言葉や腕力での暴力により)と信念を書き換えるもの(思いこみへのチャレンジ)とがあり、後者で関わっているものにはポジティブな結果が出ているものが多いのが分かります。
しかし、そういうことなどまだ分かっていなかった時代でした。
それでも、物語の中では一度プログラムに参加しただけの人が「アイデンティティの書き換え」を見様見真似でやったり、マニュアル化してネズミ講式に拡散しています。
知識がなかったとはいえ、実に恐ろしいことをしていたと言うことです。
当時の社会背景と必然
一方で、当時の社会背景を企業人事の立場から考察してみましょう。
昭和40代後半と言うと、日本は戦後の復興から高度成長期に移った後のプラトー(成長の踊り場)に達した頃でした。昭和48年(1973年)には第一次オイルショックがありましたので成長自体は次第に減速し(ちょっと前の中国みたいな感じだと思います)、一方で企業内には組合ができるなど雇用の確保や安定賃金の保証などの終身雇用を前提とした仕組みが企業の中にできていた時代でした。
この頃から企業は簡単に人を解雇することできなくなっています。法的にどうこうと言うわけではなかったはずなのですが、学卒新卒を終身雇用のレールに乗せながらも失業率は絶対に上げないようにするよう社会的な圧力が働き始めていました。現代でも整理解雇的なもについてはそれが不当なものではなかったとしてもマスコミは激しく反応しますよね。
このように一度雇った人を簡単にやめさせる事ができなくなっている一方で、まだまだ人海戦術的なマネジメントをしていた時代だったので、パフォーマンスの悪い人や能力を向上させてたい人にはなんとか変わってもらうしかありません。
それも目に見える形で。さらには変わるまで待ってる時間はなかったのです。
とは言うものの、企業内には人を変えてゆく力はありませんでした。知識詰め込み型教育とOJTで先輩の背中を見て育つ形式だったので、教育には時間がかかりました。当時一人前になるのは10年かかると言われていました。
また、人事担当者も管理職も研修や人を育成する手法は疎い状況でした。なぜならば当時企業における人材開発は「育成」よりも「福利厚生」的な色彩が強かかったのです。教育に投資している会社には税の優遇措置や補助金が出たためそれ欲しさにあまり意味のない通信教育パッケージを大量導入してみたりと外部任せになっていて、形だけ「教育にお金使っています」でお役所にも学生の引き込みにも有効だったのです。
このような背景においては、数日間研修会社に預けるだけで見違えるように人が変わって帰ってくる「チェンジ体験」ようなものには飛び付きたくなるのが道理です。日本の企業としてはなかなか思うように動いてくれない尖った社員よりも従順かつタフで猛烈に働き続けるような社員が欲しかったので、そう言う社員に変えてくれる研修へと集団で送り出し、そこについていけない社員が出てくると研修会社に「先生、申し訳ない」となってくるのでした。これが「禊」であり「洗脳」と謳われる所以です。
この状況とそれ以前から培われていた軍隊式トレーニングをやってきたトレーナーの「しごき」にも似た関わり方はパチンとハマったのでしょう。
米国で生まれたT GroupやST、そして様々なセミナーにはHuman Potential Movement(人間性回復運動)と言う米国独自の時代背景がありました。それは、企業や組織において機械や部品のように人を扱うようになってきたのを見直してもっと人間らしさを取り戻そうと言うものでした。しかし、日本で起きた「チェンジ体験」をはじめとする企業内教育はそれとは全く異なる時代背景・時代のニーズがあったと言えると思います。
一方で人間性回復運動から派生した様々なセミナーの手法は、昭和60年代から登場する企業内のキャリア開発研修にさりげない形で埋め込まれてゆきます。特にバブル崩壊後に顕著になった「社員が辞める選択肢に気付いてもらうため」の20世紀のキャリア開発研修は、内容も限りなく自己啓発セミナーに近いものでした。建て付けとしては、仕事以外で自分の最も生き生きしていた時のことを思い出してもらい、その後はマネープランの講義です。つまり退職金をもらって辞めてもやって行けることに気づいてもらうと言うことです。
20世紀のキャリア開発研修は、それに呼ばれる人も自ら参加する人も、「仕事ができない人」が「自分探しをするための研修」であることは分かった上で参加していました。その場で作り出される感動体験や自己催眠によって自分の新しいアイデンティティの可能性に気付いて(あるいは勘違いして)退職へのレールに乗るのです。
自己啓発セミナーは、アイデンティティがはっきりしていない人にアイデンティティを吹き込むと書きましたが、自分のアイデンティティが確立していないまま社会人になってしまった人が大勢であったのが20世紀ではなかったでしょうか。なぜならば、自分のアイデンティティを持たない人間を量産しているのが実は学校教育であったのですから。横並びで皆が等しく同じことを知っていて同じことを考えて従順に規範に従う「自分がない」人間が作られていたのです。
そこに企業に入ってから、その組織の価値観やアイデンティティを植えつけて企業の兵隊となります。余計な「信念」や「自己認識」などない方がよく、それがあるのであれば一旦壊して企業で期待するものに作り替えた方が良いのです。
こう考えると「心をあやつる男たち」はあの時代において、学校教育と社会人教育の間での必要悪となっていたようにすら思えるのです。
現代への教訓
さて、翻って現代。
実は状況は何も当時と変わっていません。
詰め込み型の学校教育、人事担当者の人の育成の専門性の低さ、新しい手法を検証せずに企業研修に取り入れるベンダー…いつ同じことが起きても不思議はないのです。
むしろ、脳科学などの発達により、より分析的、操作的に人に関わることが可能な世の中になったとも言えます。
人に関わる仕事をしている以上は、その危うさを常に意識することが重要だと思います。そして危うさが分かっているのであれば、危険なプログラムから人を守る義務がある、と私は考えます。
私の昔の上司の一言ではないですけれど、二度と過ちを繰り返さないために、この本を教訓としたいと思っています。
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