マインドフルな対話を設計し実験してみた
先日とあるオフ会でかなり実験的な対話を行いました。
きっかけは、荒木博行さんの以下の本でした。
ビジネスで求められる目的ドリブンで未来から考える思考と、原因やそもそもを過去の知識を拠り所にして考える思考の両方を「レンズ思考」とし、それらの思考から解き放たれて「今ここ」を裸眼で見るような思考を「裸眼思考」としてるのがこの本のポイントで、裸眼で思考するための方法として、知覚ー保留ー記憶という裸眼思考のためのプロセスが出てきます。
オフ会では、この本を読んできた人が感想を語り合うことになりそうだったのですが、オフ会を企画する側のメンバーの一人になっていた私は、これは読書会で本の感想を語り合うようなことをやるよりも実際に体験した方が良いのではないか、と思い立ちました。
その時に私の頭の中にあったのは、T Groupでした。
T Groupが何であるか、そこでの私の体験については、以下のnoteでまとめさせていただいています。
未来でも過去でもなく、今ここに意識を集中する。
それを体験してもらうことは、T Groupのやり方が近い…と考えたわけです。
しかし、T Groupは、それなりの場のセッティング(日常から離れた静かで自分と向き合える状況)があってこそ可能になるものですし、訓練を受けたファシリテーターが場を守り、約1週間かけて行うような大掛かりなものです。
それを短いオフ会の短時間のワークで行えるのか?
行っちゃっていいものなのか?
でも、まぁ、T Groupそのものをやろうという訳ではないし、同じ結果を目指してる訳でもありません。参加者に「やったことないのだけれど実験的に」という了解をもらって(有難いことです)、やってみることにしました。
設計面でのチャレンジ
場の設定をする際に、最大の効果を出すべく万全の準備をするのであれば、絶対的に押さえておきたいのは参加する人数、そしてどのような場所で行われるのか、です。
実は二つとも設計段階ではチャレンジな状況でした。
オフ会の参加者はドタキャンもありえますし、その場が始まってみるまで何人でやることになるのかはわからない状態です。
それに加え、途中から入ってくる人や早く抜けないといけない人がいるのはオフ会の常ではないでしょうか。
事前の申し込みは14名でした。これはかなり微妙な人数です。
8名ぐらいのグループでの対話をしたいのだけれど、二つ作ろうとすると足りない。しかも本当に14名来るか、最初から居るかは分かりません。
トレーナーがしっかりと場をホールドしておかないといけないだろうと思った私は、何人来ようがグループは一つで円陣でやろうと思いました。人数が明らかに多めだとなったら、最悪オブザーバーに数名持ってゆくことを想定しました。
人数よりも心配なのは、どんな場所でやろうとしているのか、でした。
密室で静かであること、集中できる環境と綺麗な円陣でお互いの顔が見えることが必要になってきます。
この条件に適う部屋って実はそんなになかったりするのです。
例えば机が固定されていれば動かして円陣を組むこと自体が不可能ですし、部屋の方がうなぎの寝床のような長方形だと端に座っている人同士は声が遠かったり表情が見えなかったりするでしょう。
会場の下見をしている時間がなかったこともあり、これについては当日になってできない場所だと思ったら「ごめんなさい」して止めておこうと決めました。
あとはどのくらいの時間行うか、です。
通常のT Groupは70分と個人の振り返りの時間を10分〜15分とります。でも初体験の人に70分の非構成対話はキツイだろうと思ったのと、個人の振り返りの後体験の共有をした方が気づきや学びが大きいだろうと思ったので、対話は40分、振り返りは20分の合計1時間という枠をもらうことにしました。
人数が多い中で振り返りが20分で終わるかどうかは自信はありませんでしたが、体験が興味深いものであればここの延長は認めてもらえるだろうと思ったので、それで行くことにしました。
人、場所、時間は固まりました。
となると、あとは「場」作るためにどのようにリードするか、を決めておかないといけません。
場を作るために
T Groupはややマニアックなトレーニングであり、コミュニケーションやチーム作り、人間関係、組織開発など人に関わることを学んできた人たちが集まっているので「プロセス」という言葉についてもある程度の理解があったり、言葉を知らない人でも最初に少し解説すればわかってもらえます。
そういう勉強をしていない読書会のメンバー、でも何かを学ぼうと思ってきている人たちに対して、難しい理論を時間をかけて説明するのではなく、非構成の対話に飛び込んでもらえるようにするには、どうすれば良いか。
誰でもわかるような平易なやり方としてはグラウンドルールを敷くことだなと私は考えました。具体的には、「して欲しいこと」と「しないで欲しいこと」を明確にすることです。
それは、次のようになりました。
その場で起きていることに意識を向け、それが自分にどのような影響を与えているのかを言語化してもらう。そしてそれは、人それぞれ違っていること。自分と他人とはその場を異なるように体験している。そして、お互いに影響し合っていることをただ認識する。ただ、それを体感してもらうことだけに対話する目的を置く。「場を良くしなくちゃ」とかそんなことは考えないで良い…
そのために考えたルールでした。
ルールの理由を説明して納得してもらう代わりに、「知覚する」そして「保留する(判断しない)」、そして「(振り返りのために)記憶する」の本の中にあることを実践してみよう、という説明にしようと。
正直、このルールでうまく行く確固とした自信はなかったです。でも、説明をした後で、著者の荒木さんが「まぁ、やってみましょうよ」と実験することを支持してくださったことで、皆もやってみようと言うことになったのだと思います。本当に感謝しています。
やってみて起きたこと
当日。
幸いなことにセッションが始まるまでには参加予定者全員(12名)が揃いました。
が、場所的にはかなり厳しい状況でした。円陣を組もうとしてもおかれてるテーブルを片付けるスペースがなかったこと。そして口調の音や外の音が結構うるさく感じられたことがあり、正直これは内省向きではないからやめた方が良いかなと思いました。
正直にそれを伝え、難しいけれどやってみて良いかと言ったところ、有り難くも皆賛同してくれたので、思い切ってやることにしました。
最初に、このセッションをどうしてやろうと思ったのか(このnoteの冒頭に書いてきたことです)を伝え、T Groupを簡単に説明し、それの超簡易版として「今、ココ」に意識を集中し、裸眼思考の「知覚ー保留ー記憶」を体験するためのルールとして「して欲しいこと」と「しないで欲しいこと」を提示しました。
参加者の戸惑うような顔にちょっとビビった私でしたが、タイマーを40分にセットして、対話を始めました。
はじめてしばらくは沈黙が続くのではと想定してましたけれど、1−2分も経たないうちに最初の一人が「今、とても気まずいです」と口火を切ってくれました。
すると、他の人も「私も今、居心地が悪いです。同じように感じているのを知ってホッとしています」と続きました。
ところが三人目は「それを聞いて私は不思議な感じがしています。私は今、安心しています」とニコニコしながら言いました。
このあたりで、気づいた人は気付いたようでした。
つまり、自分が感じているのと同じように人は感じていない。むしろ正反対の感覚を持っている人もいるのだということを。
「こういう場は苦手です。沈黙の隙間を埋めたくなる」
「今ここといわれると、外の救急車の音がうるさいなとか思う。腰も痛い」
「自分と反応が似ていない人がいるのが楽しい」
「誰かが言ったことに質問したい。相槌とか大事だなって気付いた」
「この場に没入できない。」
「意図通りに進んでいるのかどうか気になる」
…色々な声が出てきました。
おかげでファシリテーターである私は、ルールのリマインドをする以外では殆ど介入する場面はありませんでした。素晴らしい参加者だったと思います。
振り返り
40分の非構成対話は、荒れることもなく終わりました。(私はかなり緊張していたかもしれません。周りからそれを気取られないようにするのに必死でしたが)
振り返りにあたっては、個人作業の時間をとり、それが終わってから全体のシェアをするようにしました。
振り返りの質問は以下のようにしました。
何人かの人が、自分のパターンに気づき、それはこのような非構成の対話の場でもなくても普段自分がやっていること、それを何故やってしまうのかについては過去の成功や失敗や自分の思い込みが影響を与えていることが分かったと話していました。
自分のパターンへの気づきがなかった人でも、「自分の中で何が起きているのか」を言語化していないことは大きな気づきであったようで、普段、自分の感情や衝動は押し殺しているけれど、それを言葉にすることでホッとしたり、他の人がどう思っているのかがわかると言いやすくなることも分かったようでした。
違和感がある対話の場に積極的に参加し、気づきや学びを持って帰ろうという意欲がある人たちだからこその結果だと思いますが、人数や場所のチャレンジにも関わらず、なんとかうまく行ってホッとした私でした。
対話をさらに進化、深化させる
非構成対話による体験型の学習は、このようなセッションを何度か回し、自分自身の内省を繰り返しながら他者への関わりを変えてゆくラボラトリー方式が有効だと習いましたし、そうやらないと逆に危険であると思っていました。
しかし、人間関係トレーニングとしてではなく、内省のためだけに特化した対話にすることで、これだけの効果があることがわかったのは私にとっては嬉しい誤算でした。
自分の中で何が起きているのかの洞察(インサイト)を得ると共に、場を外から見た時のアウトサイドインの洞察も得ることができる。
これは、言わば対話を用いて瞑想をしているような状態ではないかと私には思えます。敢えて名付けるのであれば、マインドフルなダイアローグ(対話)かしら。
今回の実験では一回しかセッションを行いませんでしたが、振り返りの後に2ラウンド目を行えば、そこから別の気づきが得られることもあるでしょう。
そこまで行かなくても「そんな気持ちで場にいたのか」と他者を知ることはグループ・リトリートのような効果があるのではないかと思います。
セッションの数は本当に一回で良いのだろうか?
一回が不適当ならば、何度回すと良いだろう?それを回す目的はなんだろう?
ルールはこれで本当に大丈夫か?
ファシリテーターが居ないくても自走式でできるようなやり方はないか?
このような対話をさらに進化、深化してゆくにはまだまだできることがありそうです。
少しブラッシュアップをしてみて、機会があったらバージョン2が実施することができるかもしれません。
その時にも、今回のように実験を許し楽しんでくれる素晴らしい学びの仲間がいてくれると良いなと思います。