自作詩「世界を沈黙が支配する」の解説


私に聞こえない声で、神が冗談を言う。私はそれに笑っている。
神は見えない底で冗談を言う。
矛盾した時を刻みながら、執拗に、無限に。
私と神はあやつり糸でつながっていて、お互いが影絵のように踊る。
神は話す、言葉、時間、振動について。私は笑っている。
土の湿った匂いのする夜、私は神の夢のなかで泣く。
神の悪意は私の耳にやさしい。私は泥のように眠る。
ひそひそ話し声がする。ひとつの仮面に、べつの仮面が応じる。
比喩という比喩が、列をなして輪をつくる。
私はそのなかから一枚を引く。神は笑いながら逃げていく。
一匹の小鹿が、振り向いた先にはもう、雲が迫っている。
神は小さな矢を心臓に放つ。垂れさがる葡萄の房。
秘密のように立てた指先から竜巻が生まれる。
拡がりつづける牧野を神は踏み固める。
黒馬がいななきながらはしる。私は見えなくなるまで見つめる。
私は神を数えるのをやめ、神の冗談に耳を傾ける。
太陽が空の頂点に達する。世界を沈黙が支配する。

レトリックや比喩はなるべく割愛して、メカニズムだけご説明します。
まず、この文を書き出したきっかけが、あるとき、理由もなく笑いがこみあげてきたことです。そのときは考えごとをしていたのですが、愉快なことを考えていたわけでも、はっきり何かが頭に浮かんだわけでもありませんでした。
それが不思議に思いました。なのでその理由について考えました。
少し前に読んだ、ラカンという人の本に、「無意識は言葉だ」といったことが書いてありました(ラカンに詳しい方から教えてもらったというのもあります)。それは言葉のようにルールとメカニズムを持っているということだと思います。私はラカンのそのほかの主張も見て、彼がある意味で正しいのだろうとみなしました。
そこで、笑いがこみあげてきたのが、無意識の動きによるものだろうと推測しました。ふだん表面に表れない心の動きが、笑いというかたちでこみ上げてきたと。
さて、この文の中で、「神」とは、「言葉」「時間」「振動」「矛盾」と関係があって、それらをひっくるめた活動を指します。それは悪意ある矛盾した冗談で私を突発的に笑わせます。
五行目までは、私と神の関係、つまり私と無意識の関係について書いています。
六、七行目は、それを反転させて、悲しみも無意識の動きだということ、ただし悲しみを癒すはたらきもしているということを書いています。
八行から十行目には、他人、もしくは自分が見せる外づら、見かけの顔姿を「仮面」として、それは何かの比喩、つまり無意識の動きをいったん固定しようとしたもの、それは無限にあるということ、私がそのなかから選択して無意識に名前と形をつけようとすると、それと矛盾するように、無意識は動いていくということが書いてあります。
十一行から十五行目には、この文自体を書きながら浮かんだ景色が書いてあります。
十六行から十七行目には、統一され、あるいは分裂するとりとめもない神を捉えようとすることをいったんやめ、無意識の動きを再び自由にしてやること、そして真昼がやってきて、つまり夢を見る時間の逆、目が覚めている時間、身体を動かして表面の言葉で考える時間となり、「神」と呼ばれていた無意識が底のほうに沈んでいく様子が書かれています。


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