歪さを抱きしめる―「勝手にふるえてろ」読書感想文
「人生って難し〜」とよく思う。人生は物語ではないから当たり前かもしれないけれど、時々、歯車が異様に噛み合わない日があるのだ。その度に私は心の中で呟く。「難し〜!!!」。
だから、『勝手にふるえてろ』を初めて読んだときは強い衝撃を受けた。だって、物語なのに、あまりにちぐはぐで、歪で、「人生のディティール」が細かすぎたからだ。
主人公のヨシカは、中学時代同級生だった一宮・通称イチへの恋心が未だに忘れられなかった。そんな中、会社の同僚である霧島・通称ニに人生で初めてのアプローチを受けるも、ニに対する感情は冷めたものしかなく、返事を保留にしてしまう。その後同窓会でヨシカはイチと再会するが、イチはヨシカに好意を寄せるどころか、名前すらも覚えていなかった──
何年もし続けた片想いは、実らないどころか、自分は好きな人の眼中に全くいなかった。にも関わらず、唯一自分を好いてくれた人にはどうしても魅力を感じない。まずこのリアリティに、私は強く心を動かされた。もちろん、「恋が実らないこと」がリアルだと言いたいのではない。この、まるで実在する人間の人生をリアルタイムで覗いているような「上手くいかない感じ」の表現が、ものすごく生々しいと感じたのだ。
そしてさらに、主人公のヨシカという人間にも着目したい。読みすすめていくと、ヨシカは内面において並外れた不器用だということがわかる。考え方が極端に自分を苦しめる方向に偏っていたり、暴走して気持ちの表現方法を誤ったりするのだ。「希望にあふれた」とか「真っ直ぐな」みたいな主人公らしい形容詞はまるで当てはまらず、あまりに人間らしい。
しかし、だからこそ、生まれてこの方ずっとイタい人間だった私は、ヨシカのイタいことこの上ない言動や行動にとても共感できてしまった。ヨシカが苦しむ場面では、自分も胸が苦しくなりページをめくる手が止まってしまったほどだ。筆者・綿矢りさはヨシカを主人公として・キャラクターとしてではなく、一人の人間として描こうとしたのではないだろうか。
最後、ヨシカはニに自分のダメな部分を全て見せてしまうことになる。しかし、それでもニは、最後にはヨシカの全てを受け止める。「自分の愛ではなく他人の愛を信じてみよう」というヨシカの「挑戦」によって二人は共に過ごすことを決め、物語は幕を閉じた。この場面を読んだとき、私も少し救われたような気持ちになったのを覚えている。ヨシカに自分を重ねて読んでいる私ごと、ニが受け止めてくれたような気がしたからだ。物語的なハッピーエンドとは程遠いかもしれない。しかし、歪だからこそ、「人生ってこうだな」と思わせてくれる、不思議なラストだった。
私は自分のダメな部分を受け入れることがとても苦手で、いつも少しのミスで自分を責めてしまいがちだ。しかし、『勝手にふるえてろ』を読んで、「できない自分」もそのまま肯定しようと少しだけ思うことができた。『勝手にふるえてろ』の一番の魅力は、「綺麗じゃないこと」だと私は思う。描写もストーリーも、登場人物も全て、歪で、完璧じゃなく、人間くさい。だからこそ共感でき、物語に入り込めるのだ。そしてそれは自分を受け入れることにも繋がるのだとわかった。
ヨシカを受け止めたニのように、私も自分の歪さを抱きしめることができたら、噛み合わない歯車を、「それでいい」と眺めることができたら、それはすごく素敵なことだと思う。