杜の都・「杜」の意味と、「定禅寺」というお寺はどこにあるのか
おばんです。
好きな楽天の選手は・有銘。
イタリーさとうです。
結論を急ぐ人は仙台市のHPを読んで!w
仙台が一番魅力的に思える新緑の季節。
もちろん情勢が情勢だけになかなかゆっくりと過ごすこともできないのですが、お昼休みに定禅寺通りを通り写真を録りました。
本来ならば、あおば祭りの時期でしたね。
新緑のケヤキ並木から、木漏れ日が落ちるこの景色がいかにも杜の都らしくて好きです。
ところで、「杜」の意味について正しく理解していますか?
なぜ「森」ではないのでしょうか?
恐らく仙台の方でも半数以上はよくわかっていないのではないかなと思います。
自分も数年前までは全然知らなかったので、調べて理解した記憶があります(笑)
冒頭に紹介した仙台市のHPが全てではあるのですが杜の都の「杜」とはざっくり言うと人工林を指しています。
・伊達政宗が家臣たちに屋敷内に木を植えることを推奨した。
(飢餓に備えてや、隣家との境目として)
このことによって、人工的に木が多く植えられ、城下町(仙台中心部)では緑化が進んだそうです。
明治42年に「森の都」と観光案内書に記され、昭和に入ってから「杜の都」と表記されるようになったと言われています。
「杜」には自然の緑はもちろん、長年人々が育ててきた緑も含み、その緑こそが仙台の宝であるという想いも込められているそうです。
最初に「杜」を当てた人のアイデアは洒落てますねぇ〜!
その後仙台空襲で多くは焼けてしまったようですが、定禅寺通りや、青葉通りなど、現在も仙台の中心部ではたくさんの緑が根付いています。
もう一つ、定禅寺通りの定禅寺って?
固有名詞化しているとわざわざ分解して意味を考えることも忘れがちですが、そもそも定禅寺とはどこのお寺でしょうか?
答えは。
それも仙台市のHPをw
公式の回答や圧倒的知識人の解説を越えられんってばw
と、いうわけでですね。
これも伊達政宗時代になるんですが、仙台城の鬼門封じという意味で「定禅寺」が現在の勾当台公園・宮城県庁のあたりに建てられたそうです。
紅葉のときの写真ですが、位置的にはこの辺が近いのかなぁ。
「定禅寺通り」というのは仙台城→定禅寺に続く道ということですね。
↑昔の写真も見つけたのでぜひ。面白いHPですよ。
地元の人も、そうでない人もこれを機に仙台の核となる部分の話しを学んでみましょう。
歴史を知ると、今見えている景色も見え方が変わってくるかもしれません。
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