「それを誰が実施しようとしているのか」~外見上は同じことであっても、実施主体によって「それ」の意図は変わるし結果も変わる

私が所属する全国学校事務労働組合連絡会議(全学労連)、学校事務職員労働組合神奈川(がくろう神奈川)、同川崎支部(学労川崎)は、学校事務の共同実施・共同学校事務室に対して一貫して、反対する姿勢をとっています。


学校事務の共同実施が公に行政施策として位置づいたのは、1998年の中教審答申「今後の地方教育行政の在り方について」からと認識しています。

この答申を受け、各地で学校事務の共同実施導入の動きが広がりました。

さらに2017年には地教行法が改正され、共同実施組織が「共同学校事務室」として法定化されるに及びました。


しかしこの施策は、学校事務職員の各校配置体制を破壊し学校事務職員の集約=学校事務センター化と人員削減、有期・短時間雇用職員への置き換えを促進し、同時に学校運営体制にも深刻な打撃を与えるものに他なりません。


一言で言えば「それって人員合理化でしょ」ということです。
(以前、ある小さな町の教育委員会幹部が述べたといいます)


私は2010年に川崎市の学校事務職員(小学校配属)となりました。

早い時点で学校事務の共同実施について学び、私もそれが、学校事務職の人員合理化ひいては廃職につながるものだと捉えました。

川崎市の義務制学校とりわけ小学校は川教組(日教組)の組織率が非常に高く、私も新採用時点で加入の誘いを受けたのですが、川教組=日教組は学校事務の共同実施を推進する立場をとっています。

私にしてみれば文字通り「墓穴を掘る」行為にほかなりません。

共同実施に対する姿勢。これが、私が学労に加入した最大の理由でした。


川崎市は今に至るも、学校事務の共同実施ないし共同学校事務室は導入されていません。

それに近いものは存在しますが、市教委当局はそれを「研修体制の一環であり学校事務の共同実施ではない」としています。

これは学労川崎が導入に強く反対している影響が大きいと、自負しているところです。


さてしかしながら。

全国的に見れば学校事務の共同実施・共同学校事務室は一定の拡大を見せており、あわせてこの15年ほどの間の大量退職・大量採用(私もそのひとりですが)における実体験も相まって、共同実施・共同学校事務室に対して肯定的な考えを持つ人も少なくないことは、よくわかっています。

学校事務職員は多くの場合、学校にひとりだけの配置です。管理職も含めて校内には学校事務の仕事をわかるひとはおらず、また学校事務職員の悩みや気持ちにも充分に寄り添ってもらえない状況は珍しくありません。

そうしたなかにあって特に採用間もないころを中心に、共同実施・共同学校事務室で仕事を教わったし、悩みも聞いてもらえた、あれがあったから今があるし、これから入ってくる新人を同じように支えるためにも共同実施・共同学校事務室は必要だ、と考える人は、少なくないでしょう。


私も、「それ」を否定するものではありません。


私の場合は、組合と地区事務研究会でそういった相談や支えをいただいたものですが、仮に「それ」が共同実施・共同学校事務室という場であったとすれば、そのように考えるのは当然だと思います。

1校1人の学校事務職員が、学校の枠を超えてお互いに助け合い支えあい教えあうことは、絶対に必要なことです。

そのことは以前にも、このブログで書きました。


お互いフラットに助け合える存在としての学校事務職員


「であれば、そうした学校の枠を超えた助け合い支えあい教えあいを制度化した方が、もっとそれが促進されるではないか。それが共同実施・共同学校事務室ではないか」。

そんな声もあるかもしれません。

確かに、私が「絶対に必要だ」と断ずるやりとりが、共同実施・共同学校事務室の場で展開されていることは、事実でしょう。


しかし、私は複数の人が関与して生じる現象=社会的現象に対して「それを誰が実施しようとしているのか」という観点から本質をとらえることは、大切なことだと考えます。


例えば、ボランティアによる公立公園の清掃活動は、実施者の自由意思に基づく自発性からのものであれば、善意にあふれた素敵なことでしょう。

しかし同じことが、行政主導で実施されるのであれば、それは抑圧的なものであるばかりではなく本来対価が支払われるべき労働に対してそれが支払われないということであり、そのことは消費の減退と雇用の劣化(労働ダンピング)という社会的問題につながります。

そのようにする行政の意図は「カネをかけずに行政サービスを維持する」ことであり、生み出される結果は先に述べたとおりです。

しかし、外見上においては同じなのです。


同様のことはどんなことでも言えましょう。


学校事務の共同実施・共同学校事務室も同じです。

学校の枠を超えた学校事務職員同士の助け合い支えあい教えあいは、学校事務職員が安心して働いていくための、いわば互助的・連帯的な取り組みです。

しかし、学校事務の共同実施・共同学校事務室は教育委員会当局が実施するものであり、そこには単なる互助・連帯とは異なる意図が入り込みます。


実際に人員削減合理化を公然と目的に掲げる自治体もあります。

また昨今では「教員の負担軽減のため」と謳い学校事務職員の担当業務を増やす受け皿とされる例が、多数見られます。

これらの意図は、学校事務職員全体の自由意志や自発性から湧き上がっているものとは大きく異なるものです。


もちろん、自発的に「教員の負担軽減のために自分にできることをやっていきたい」という学校事務職員もいるでしょう。

私はその考え方を否定しません。

しかしこれも、実施主体が「自分」ではなく「当局」である時点で、取り組む方向性や程度を自己の自由意志の範囲に収めることはできなくなります。

これもまた、外見上は同じであっても実施主体が変わることで、意図も結果も変わっていくという話につながります。


私は学校事務の共同実施・共同学校事務室の導入に強く反対しています。

しかし、すでに導入されている学校事務の共同実施・共同学校事務室の場で行われていることのすべてが、悪いことだとは思っていません。

それでもこの制度の導入に反対するのは、いかに外見上「良いこと」が行われている側面があろうとも、「制度」である以上当局=使用者が労働者を使う上で導入されるものであり、それは最終的には労働者をより安くあるいはより多く働かせる意図ないし結果を目指すものにしかなり得ない、と考えているからです。


最後に、念のため付言します。

「共同実施・共同学校事務室の制度がないと、他校の新採用職員の支援に行くのにも年休でいかなければならない」といった声もあるやに聞いています。

しかしそれは、当然公務出張で行けるよう校長に申し入れるべきです。

川崎市では昔も今も、自発的な他校支援について公務出張が認められています。

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