日本のdou~道 「己事究明」
日本の伝統文化とされる中で「道」がつくものは、花道の他、茶道、書道、煎茶道、また剣道、柔道、合気道などの武道などなど
この「道」ってなんでしょうかね・・・・
花道に限らず芸道と呼ばれるものには「稽古」は不可欠。お稽古の「稽古」とは「古(いにしえ)を稽える(かんが)える」ということであるから、稽古はもともとは模倣。模倣するものは、「型」であり、稽古は師を媒体として「型」を学ぶこと。なぜ「型」を尊守しなければならないかというと、それは技・技術の習得するためだからである。
いくら感性があり、センスがよいとしても培った技がなければ、結局は自分の思ったものを表現することはできない。それは花道に限らず・・・
技術習得のために芸道の稽古は、我意を張った創作をするのでなく、「型」を繰り返し繰り返し倣うことに重きが置かれる。そこには自分の意志を慎む、自己をなくすという姿勢が求められる。
禅語に「己事究明」という言葉がある。己自身とは何者であるか、探し突き詰めていく中で、自分の中に様々な欲求があることに気が付く。その欲求に捕らわれることなく、一切の想念を断ち切り無心にいきることをしたときにはじめて、自分の生き様に気が付き、そうやって生きているのが自分だと自覚する。
芸道における「型」の稽古はこの「己事究明」の姿勢と同じではないだろうか。己の表現や欲求をなくし「型」をひたすらに稽古することによって「技」を習得できた時、はじめて己の芸がみえ、そこに生きる自分がみえてくる。そして、自分の生きる道というものを歩み始めることができる・・・とわたしは思う
芸道だ、稽古だ・・・古臭く感じられるかと思う。でも、自分探しで迷路に迷い込んでいる人も多い。
色々なものが便利になり、身体を使うより頭を使うことのほうが多くなった。頭で考えるのも大切だが、頭をからっぽにして何かに打ち込むこと、頭で考えるより先に身体が動くようになるまで徹底的に鍛錬すると、ふと、気が付くことってあると思う
夢中になるものがあるというのは、幸いだ
ISSUI UMEDA
梅田 一穂
華道造形インスタレーションアーティスト
古流清光会師範 花道家