春 窓 小 閑
本 社 菊 池 一 錢 亭
前 章
四月はじめの曇り日の日曜である。時どき小
雨が煙らつて氣分の重い花曇りの朝だ。
よく晴れ上つた日には他に氣が散つて、讀書
も原稿書きも出來ない自分は、早朝から二階の
机の前に座つた。今日こそは何か一篇原稿をま
とめてみたいと思ひ、多少苛立たしい氣持を抑
へ乍ら、かたはらの書架からいい加減に、愛藏
の本を取りあげた。自分の小さな書架には今か
れこれ百册程の本が竝んでゐるが、どれ一つ自
分にとつて、つまらない、無駄な本はないつも
りである。
自分は少年時代からの本好きで、一時は五百
册もの本を持つてゐたが、數年前の冬の或る
日、街を散歩してふと古本屋の前を通りがかつ
たら、妙に本を賣りたくなつて、その店の主人
を連れて來て、どうしても手放すに忍びない五
十册程のものを殘して、二束三文で賣拂つた。
定價で四五百圓もするものが、古本屋の主人の
古くさい財布から支拂はれた金は、僅かに五十
圓そこそこであつた。主人が歸つたあと、自分
は片腕をもがれたやうな淋しさを覺えたが、軈
て小僧が荷車を曳いて來て、本を積んで行つて
了つた時には、ほんたうに泪が出て仕方がなか
つた。こんな哀しい思ひをして迄も本を賣らね
ばならぬ程の理由はなかつたのに、惜しいこと
をしたと、暫らく後悔し續けたが、その後日が
經つにつれて、別に氣にもならなくなつて了つ
た。
自分の買ふ本は先づ第一に著者が自分の好尚
に適し、次ぎに裝釘が自分の趣味に合ふものに
限られてゐる。だから好きな數人の作家の本が
多く集まるとか、それでなければ裝釘のすぐれ
た本ばかりである。然し、時には好きな人の著
書で裝釘のいやな本が出ることがあるが、そん
な時には、へんにちぐはぐな氣持で淋しいので
ある。今自分が机上に取り出した本は、去年の
夏買つたもので、室生犀星氏の「文藝林泉」、
内田百間氏の「百鬼園随筆」、「續百鬼園随
筆」、「百鬼園俳句帖」、内田魯庵氏の「紙魚
繁昌記」、「續紙魚繁昌記」、「讀書放浪」等
であるが、買つて來た日には、それらの樣ざま
な裝釘を愛撫したり、あちこちと全るで鼠が噛
るやうに讀み貪つたりするが、一册の本を續け
て讀んで了ふのが惜しく、二三日そんなことを
繰り返へしてゐるうちに書架に竝べて了ふと、
もうそれつきりになつて、容易に手に取らうと
しないのである。まことに困つた讀書癖だと思
ふが、自分にとつては、あああの本が欲しいな
と思つた瞬間と、愈いよそれを買ひ取つて、家
へ持つて歸る途中と、机上に載せて、とみこう
みする時が、一番樂しいのである。その極めて
短い間が、自分の心のはりきつた三昧境なので
ある。
年少の頃には随分少說などを耽讀したが、今
では全く興味がなく、讀みたいと思ふ本は、名
家の随筆ばかりである。どこから讀み出さう
と、どこで讀み捨てやうが、至極氣樂に筆者の
觀照の世界にとけ込んで、一字一字を噛み碎く
やうに味ひ乍ら讀むたのしさは他に比類がな
い。讀後はすつかり忘れ果てても、繰返して讀
む度每に、新しい咸興が泉のごとく湧いてく
る。
うづたかき書物の中に住み、書物と共に生き
たと云つていい内田魯庵氏の、本に關する随筆
や、皮肉な觀察と、明快な表現とを持つ氏の「
銀座繁昌記」その他の文章を讀むのは、吾われ
本好きにとつて、一種の法悦に近いありがたさ
を感じさせるのである。
室生犀星氏の「京洛日記」といふ京都の寺の
庭を書いた随筆は、氏の少說などにみるやう
な、ねちねちした筆致とは全で違つた、枯淡な
もので、苔くさい名園の姿が、まざまざと眼前
に浮び、泉滴の音まで響いてくるのである。こ
の靜寂な境地は、吾われが眼のあたりに、それ
らの名園を見て感じるものよりも、遥かに深い
のであつて、名匠の筆の冴えがうかがはれて、
滋味掬すべきものがある。
内田百間氏の特異な文章は、まさに鬼氣人に
迫るものがある。この人のものを讀み出すと、
世評に云ひ古されたことであるが、一種の百鬼
園中毒にかからずにはゐられないのである。最
近になつて讀書界に歡迎され出したやうである
が、夏目漱石氏の門をくぐつた一人であること
は、漱石全集の書簡集を見ても分るし、昔、春
陽堂から出てゐた新少說といふ雜誌に、氏の作
品が掲載され出した頃、芥川龍之介氏が菊池寬
氏に向つて、「内田百間といふ作家は面白いも
のを書く。」と言つて推薦したさうで、文界に
は相當古い人である。
その随筆を讀むと分る通り、人間として随分
變型の人らしく、多くの奇行があり、金錢上の
ことなどでも、餘程非常識な點があるやうであ
る。そんなことなどはどうでもいいとして、兎
に角氏の文章は面白いものだ。最近矢繼早に著
書が出版されるが、全で物の化にでもつかれた
やうに買つて來て了ふ。「百鬼園俳句帖」には
秀句が多いが、氏の俳句にも矢張り氏獨特の氣
味の惡るい世界と、銳い表現とが凝縮されてゐ
る。例へば「春雷に砂蹴る鶴の足掻きかな」「
水ぬるむ杭を離るる芥かな」「袋戶棚に砂糖の
にほふ日永哉」「川鼠顔を干し居る薊かな」「
凩や往來をひた走る鶏」「茶の花を渡る眞晝の
地震かな」「凩に狸の鼻の乾き鳧」などは、讃
嘆すべき境地だと思ふのである。
後 章
こうして机上の本を手當り次第に讀み耽つ
て、愛書の三昧境を貪つてゐるうちに、いつの
間にか、低くたれこめた雨雲が、拭はれるやう
に消え去つて、軈て薄れ日が庭の松の蔭を机上
に映す程に明るさを増して來た。
自分は多少讀書の疲れを覺え、春らしい物憂
さをさへ感じて茫然と机によつてゐたが、ふと
思ひついて、タオルと石鹼箱とを提げて、近く
の錢湯へでかけて行つた。春晝の錢湯はひつそ
りかんとして、天井の硝子戶からは、正午近い
日射しが湯槽のへん迄いちめんに降りこぼれ
て、ぢつと漬つてゐると、うとうとと眠氣を覺
えるほどである。水道の蛇口のゆるみから滴る
水の音が、ポタリポタリと妙に高だかと響い
て、いかにも長閑だ。シャボンの泡をからだぢ
ゆうにぬつて、日射しに當てると、水に浮いた
石油のやうに、いろいろな色にぎらぎらと光つ
た。
こふいふ晴れた日の晝の錢湯の靜かさを、心
ゆくばかり樂しみ乍ら、さつぱりとした心持
で、又二階の机に向つた。東と南に面した硝子
戶を開けると、眼前の木原山の松林は、あひか
はらず亭々と形よく靑空にのびて、その濃綠の
樹木のなかに交つた二十株ばかりの櫻が、恰度
今滿開の花をほこつてゐる。每年三月の末にな
ると、うつすらと蕾がふくらんで來て、初めは
ぽつちりと白づんで見えるが、日每にその白さ
を増して、温かい雨が降つた翌日などには、も
ういちめんの花ざかりである。こういふ時をた
がえない自然のいとなみの美しさにも、いたく
心をひかれるのである。霧の深い晩や物凄く冴
えた月の夜更などに、梟の啼き聲をきいて、ゾ
ッとするのもこの松林である。
さて自分は今原稿紙をひろげて、漫然と想ひ
のままを書き綴つて來たが、こういふ時にきま
つて思ひだすのは、亡父のことと、自分の子供
の頃の思ひ出である。この頃は自分の子供もや
や物心がつく迄に成長して、折角の休日も子供
らの相手をして暮らす日が多いので、休日は晴
釣雨讀で暮らしたいなどといふ自分勝手な希ひ
も、いつの間にか雲散霧消して了つたが、子供
らの姿をみるにつけ、自分の子供の頃のいろい
ろなことを思ひ出し、不思議な氣持を覺えるの
である。六つか七つの頃のことが妙にはつきり
と頭に殘つてゐるかと思ふと、かへつて十五六
の頃のことが呆んやりしてゐる。
亡父の故郷は、山口縣の田舎であるが、若い
頃から酒を愛し、當時その地方に流行した義太
夫道樂にこりかたまつて、それが昂じると、小
屋掛け興業迄して家産を傾けたさうである。
父は今から十四年前の冬亡くなつたが、好き
な酒も飲めなくなつて、長い病床についてゐ乍
らも、煙草と三味線だけは放さうとしなかつ
た。やせ衰へた手に三味線をかかへ爪彈きで「
三十三間堂」や「酒屋」のさわりなどを、自分
に敎へやうと骨折つたが、不器用な自分は到頭
ひとくさりも覺えずに、折角の父の好意を無に
して了つた。
子供の頃の思ひ出のうちで、一番なつかしく
印象の深いのは、自分が六つ位の頃、山陽線の
小月といふ驛から十里ほど山奥へ入つたところ
にある西市といふ村に住んだ當時のことであ
る。小月から古ぼけた圓太郎馬車に乗つて、山
路を縫ひ乍らゆられて行つた日のことを思ひ出
す。
自分らが住んだ家の前には、向岸が竹藪でお
ほはれた川が流れてゐた。家のすぐ前は畑で、
そのさきは河原につづいた。
夏のはじめ螢が飛び交ふ頃、雨戶を閉めずに
蚊帳を吊つて寢てゐると、無數の螢が蚊帳にと
まつて、明滅する風情が夏の夜らしくなつかし
く今でもはつきりと眼に浮ぶ。まだランプを吊
した時代の、家數も四五十軒しかないやうな、
この寒村の夜は、涼みに出る人かげもまばら
で、聞えるものは川のせせらぎの音ばかりであ
る。そんな眞暗い晩などに蚊帳に寢て川の方を
見ると、向ふ河岸の竹藪の下の石垣が、蒼白い
螢の光でいちめんにぼーッと明るくなつたこと
や、舊五月の節句の晩には每年きまつて、この
河原に敵味方に分れた螢が群來して、螢合戰を
したが、その翌くる朝河原へ行つてみると、昨
夜の戰で死んだ無數の螢の骸が落ちてゐたこと
などを覺えてゐる。秋になると、山へ行つて椎
の實を拾つたり、とりもちで小鳥を捕つたりし
た。冬近くなつて凩がぴゆうぴゆう吹く頃にな
ると、父の手製の紙凧を揚げたり、杉の實をた
まにして打つ竹鐵砲をつくつて貰つたりした。
その當時の杉の實のねばねばした澁い匂ひが、
今でも指さきに殘つてゐるやうな氣がする。正
月になると、その頃山村を興行して歩るいた地
獄極樂の見世物や、覗きからくりなどを見るの
が、唯一の子供のたのしみであつた。
去年の五月、自分は老母と共に、父の十三回
忌の法事のために歸省したが、在りし日の父の
ことどもを偲ぶために二十八年振りでこの村を
訪れてみた。最早昔の圓太郎馬車などは、時代
の波と共に消え去つて、小月から西市迄輕便鐵
道がかかつてゐた。當時の西市村は今では西市
町となつて、街並も揃ひ、九州地方の炭礦で使
ふ杭木を伐り出す集散地として賑つてゐた。
餘りに激しい變り方に茫然としてゐる老母の
覺束ない道案内で、昔住んだ家のあたりを探し
たが、勿論その家は跡方もなく、只あそこに違
ひないと母が指すのは、當時庭にあつた小さな
松の木が一株、今では見あげるばかりの大木に
なつて、あとに建て變つた家の庭に昔を語つて
ゐるだけであつた。二人はがつかりし乍ら、猶
もあちこちと昔の匂ひを嗅ぎ出さうと歩き廻つ
て、例の河原へ行つてみた。その川は三十年も
の歳月を過ごした今も、昔の面影どほりに不相
變竹藪にかこまれ乍ら滾々と流れてゐた。
もう五月だから夜になると、昔の通りに螢が
出て、あの石垣に灯を燈すだらう―― 一夜で
もここにゐて、昔の思ひ出にひたりたいと思つ
たが、老人連れの急ぎの旅では、それも叶はぬ
希ひであつた。
夕暮れであつて。汽車の窓にもたれて、最早
すつかり暮色につつまれた、あの竹藪のある川
が、段だんと遠ざかるのを飽かず見送り乍ら、
自分はたまらなく寂しかつた。
自分の殘る半生のうち、是非もう一度ゆつく
りとこのなつかしい町を訪ねて、心ゆく迄懐舊
の情にひたりたいと、心に念じたが、「もう二
度とここをみることもあるまい。」と獨言を言
ひ乍ら、ハンカチを眼に當ててゐる老母をみる
と、自分も抑へてゐた泪があふれ出て、止め度
がなかつた。
(昭和十年四月稿)
(「王友」第十號
昭和十年六月二十日発行 より)
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