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品川 力 氏宛書簡 その十三

ツトムさん―昨夜は愉快でした。橙々いろの晩い月かげほのか
な夜ふけの路を、啄木のうたと、秋刀𩵋のうたとをふしづけ
てうたひ乍らかへってくるほど朗らかな気持でした。そして、
かへるとすぐ、卓燈をともして、「思ひ出の記」をよみはじめ、
あまりに面白いのでくりかへしくりかへしよみして、二時近くなりま
した。あなたは大杉氏とソックリです。あの作品からみると、ぼ
くなどは、ものをかく資格はないと思ひ、書きあげた原稿
を破棄したくなったほどです。私はあなたを激賞します。
どうぞ、あのつゞきを発表して、よませて下さい。
美しきゆめをみる―わたしは今、茫然たる気持を覚えて
ゐます。     与志夫


[消印]14.3.? (大正14年)
[宛先]京橋区銀座尾張町
    大勝堂
    品川 ツトム 様


                       (日本近代文学館 蔵)





  詩人の思ひ出(一)
    -日曜學校時代-
        品  川  力

◎キリストは厩舎のかひば桶の中
に於てお生れになつた。ところが
僕はまたそれにふさはしく牛小屋
に於てうぶ聲を上げたのだ。
 其のためなのか僕の眼付はキリ
ストのそれに似てゞもゐたのだら
う。
「どれキリストの顔をしてごらん」
と家のものはよく言ひ/\した。
◎そんな時はいつも得意になつて
ゲツセマネの野に日光を浴びて祈
るキリストの眼付きをした。やが
てはそれが友達間にいつの間にや
ら知れ渡つてゐた。
「ツトム君、キリストの顔をして
み給へ」僕は眉をひそめて大きな
眼で天上を見上げるのだつた。み
んなそれに見とれてゐた。
 それらの關係から僕は小さい時
から日曜學校にやられた。
◎僕は親父に負けない熱心を以て
日曜ごとに、ほとんどかゝさず敎
會に行つたが小キリストは見認ら
れず、いつも異端者扱ひにされて
ゐた。生徒に對しては危険な不快
の敵手となつた終つた。つまり皆
んなの者は僕が死んでくれゝば安
心するやうな顔をしてゐるのだ。
僕はスツカリ癪にさわつて了つた
ので、大いに脱線してやつた。い
ゝ氣な顔して敎會に來てゐる奴等
をかたつぱしからボカ/\と殴り
つけてやつた。
◎ある日敎會の歸りに、とう/\
井上先生の娘さんを泣かせた。こ
いつあ、しまつた」僕は戶外に飛び
出して人だかりのしてゐるところ
へもぐり込んだ。ところを先生に
捕まつた。先生は僕の兩手をもつ
て別室に連れこんだ。そして靜か
に僕のために、主ヱエスに祈禱を
さゝげた。僕は別に悲しくはなか
つたんだが、涙はボロ/\と落ち
た。
 彼女は僕がこわいので、ひとり
で敎會に來れないで、それで、いつ
も門のそば迄お婆さんと一緒にや
つて來た。
◎キリストにも弟子があつたやう
に、僕にも僕と行動を共にする弟
子がいつも十人近くあつた。けれ
ども日曜學校に行く時は、僕と極
く親しい同志の高倉と、そのほか
二三の弟子が同伴するだけであつ
た。
 僕はいつも先立つてすばらしい
働き振りを見せていた。高倉はお
となしい男で、いつも何かにおび
江てゐる樣な調子であつた。
  ×  ×  ×
◎基督敎のお話といふのは不思議
な世界である。それをまた先生は
本氣の沙汰で話すのが上手かつた
 ――キリストは五つのパンと二
つの魚をもつて五千人の群衆を養
ひ、なほ餘つてそれが十二の籠に
充ちた――
 井上先生はこんな話をされた。
そんな話を聞いたばかりに腹がす
いてきた。あとの話なんぞは頭の
中に這いらん。
◎敎會を出たときにはボンヤリし
てしまつて、なんだか牢獄から放
たれたやうな氣持ちになつた。
 いまいましい、敎會の歸りには
坂の上から、氣晴しのために、弟
子たちと敎會めがけて、石を投げ
ることにしてしまつた。
 日曜の午後になると敎會の屋根
の上にすばらしい音樂が初まるの
だつた。
 われら神の子によつて、投げら
れるその石の音は、天にまします
キリストの御元に、なにものか囁
いたにちがひない。
 まだ消江ぬ爐より灰と火とを
 出すが如く
 撒き散らせ
 我等のこの石を
 眠れる牧師の間に
 まだ眼ざめざる敎會の屋根の上に
 この石をして汝の樂器たらしめよ
 はげしき精靈の我が石よ
 汝は何處にても自由の身なり
 破壊者たり 建設者たり
 あゝ預言の石よ、あゝ精靈の石よ
 あはれ聞け
◎革命家クロポトキンにしてもバ
クウニンにしても、このやうな詩
句の呪力ちからによつて、立つたならば
さぞかしすばらしいことをやつた
だらう。敎會をあげて引上げる時
には、
 くしき主にひかりこゝろにみつ
 みそらわたる日のかげにまさる
 あゝ主よ わが主よ
 かゞやくみすがたを
 むねにうつすとは
 わが主のめぐみ
◎この讃美歌がほとばしり出るの
だつた。この元氣に充ちみちた「さ
んびか」ほど好きなものは外にな
かつた。敎會の歸り道にある、ヨ
ロンゴとかいふ樹に、いつもの二
三人とよぢのぼつて、暖い太陽を
あび乍ら、聲を限りに歌つたもの
だ。そんな時はいつも僕は聖者の
やうなのだ、それはさながらヘブ
ラウドの森に住む乙女の聲よりも
いと美しく、すべての人々の上に
朝の祈りのやうに聞江たに違ひな
い。
◎――やがて歌もやんだ。ヨロン
ゴの樹からおりてゐた時には、い
つしか精靈の石が自然に握られて
ゐた。
 ――主イエス、キリストの御名
によりて――精靈の石は涯下の味
噌屋のトタン屋根にめぐまれた。
 それは敎會のそれよりも遥かに
氣持ちのいゝ音を立てた。
◎その音に胸は漲つた。僕はそれ
からは、毎日のやうに投げてやつ
た。投げない日はなんだか物忘れ
したやうだ。それが僕にとつては
飛び上るほど痛快だつた。
 奇しき星の夜において、
 その音は、
 主よわれを助け給へ
と、聞江るのであつた。
 これは最初「思ひ出の記」といふ題で
 書いたものだが、菊池君があんまり
 僕を詩人呼ばりするので、こちらも
 ツイその氣になつて了つて「詩人の
 思ひ出」といふのにしたわけだ。 
             (ツトム)
越後タイムス 大正十四年八月二日 第七百十三號 二面 より




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