惡 魔 派 (二)
◇Kは、何もかも正直に告白して
了ふ方の男でしたが、彼の眞實の
年は幾つなのか、それを知つてゐ
る人は一人もなかつたのです。背
の高さは、歐維巴人にも劣らない
し、ガツシリとした大きな骨組は
まるで豊年時の稲の實のりほどに
うづたかく、厚つぼつたい、それ
でゐて、ピン/\と引締つた肉塊
をのせてゐるのです。鼻だつて、
眼だつて、口だつて――彼の身位
を形づくつてゐる總てのものは、
一つとして日本人の持つてゐるの
とは全く異様な形をそなへてゐる
し、殊に手や足の格好は、彼を蒙
古人か、それでなければ繪でみる
河馬を連想させずにはおきません
◇私の病的な直觀は、彼の顔から
受ける感じやその話聲やから、彼
の年はどうしたつて三十五より多
くはあるまいといふ斷定をつくつ
たのです。私以外の多くの人は、
彼の今迄踏み越江で來たさま/″\
な經路やどことなくドッシリした
性格から割出して、彼は決してそ
んな若さではない、四十を一つ二
つ越してゐるに違ひないと云つて
ゐたほどですが、私は彼が未だ一
度も結婚したことはないといふ彼
の言葉から、そして又、彼の人に
與へるドッシリした人格の感じは
彼が四十近くも人生を漂泊して得
た淋しさから來るものをみる落着
きではなく、彼の性格そのものが
脂肪の多い肉体から享ける感じソ
ックリに鈍重な方なのだといふ考
から、それらの人の言葉を打消す
のが常だつたのです。
◇私は始めて彼と一緒に寢起きす
るやうになつた日の夜のことです
私は私のもの慣れない新らしいこ
の生活から、云ひ知れぬ淋しさや
惧れを感じ乍ら、ポツネンと二階
の一室に身を投げた儘、室の中の
あちこちを眺めまはしてゐたので
す。そこへ彼はやつて來たのです
彼の跫音といつたら、全でレミゼ
ラブルの中の鎖につながれたジャ
ンバルジャンを思はせるほどです
◇彼は私の何かを求めてゐるやう
な、微笑を湛江た視線を、吸ひと
るやうに彼の胸に納め、何もかも
解つてゐると云ふ風に、
「君はそこで何を考へ込んでゐる
の?こんな室で呆やりなんかし
てゐると、今に南京虫の兄弟分
になつちまふよ。ジメ/\して
了つてサ。フム、君はもうあの琴
の音に心をひかれ出したのだネ
君の前にこの室に僕と同居して
ゐたT君だつて、S君だつて、
恰度君位の若さだつたが、皆ん
な、始めのうちは、あの琴に憧
れたものだつた。この室と來た
ら夜は妙に淋しいし、それに若
い人はセンチメンタルだからネ
S君なんか、いろんな空想に耽
つて、終ひにはあの琴に惱まさ
れるやうにさへなつた。所が或
る日僕が、S君にその琴を彈く
女はあれだよと道で會つた女を
指したら、それつきりS君の琴
の憧憬は消江失せて了つたのサ
ハハヽ君はその理由を想像する
ことが出來るかネ。・・・その女
といふのは、君も知つてゐるだ
らうが、A座へ出てゐる西條
みどりといふ歌劇女優だつたの
だよ。ホラ今きこ江てゐる琴が
さうなんだ。」
と、彼は、ニタ/\と笑ひ乍ら、
始めて會話を交へる私に向つて、
イキナリこんな風な親しみをこめ
た話をし出したのです。彼の態度
は全く私の意表に出たものですし
その頃の私のロマンチックな性格
はこんな興味を含んだ話の中に、
一も二もなくひきづりこまれ、も
うKがすつかり好きになつて了つ
てゐたのです。
◇「君ここへ來て見給へ。」と彼は
私の手を引張つて窓の左手の方へ
私の身体を押しつけるやうにし乍
ら彼の話を續けたのです。
「ホラ君、あすこに古い煉瓦の藏
が見江るネ。あの右手に古ぼけた
二階の窓がみ江るだらう。半分す
だれを掛けてあるが、室には明る
い電燈が灯つてゐるから室全体が
芝居の舞臺面のやうに照らし出さ
れて見江るではないか。ネ、そのす
だれの向ふに白い羽二重かなんか
の夏着で半分肉体をくるんだ若い
女が背をこちらへ向けて座つてゐ
るのがみ江るだらう。あれなのだ
よ。あれが琴の彈き手サ。そして
或る外國人のパトロンを持つて、
今ではオペラの方もやめて、もう
すこし夜が更けると、どこかしら
へ彼女は出掛けて行くのサ。・・・
君が若し琴を愛するのなら、たゞ
琴といふ音樂だけを愛し給へよ。
S君のやうに、つまらない空想に
捉はれて、ひどい失望や幻滅に苦
しむのは馬鹿らしいことだからネ
・・・・・」(つゞく)
(越後タイムス 大正十二年二月十一日
第五百八十四號 八面より)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?