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生命とは何かを考える

生物とは何か?

いきなりの変な質問と思われるかもしれませんが、今回はそんな質問から考えていきたいと思います。

生物とは、文字通り生きている物です。厳密にいうと、「自己増殖能力、エネルギー変換能力、自己と外界との明確な隔離」などの要件がある(ウィキペディアより)ようですが、一旦、それは置いておきます。

単純な生物としては、アメーバやミカヅキモなどの単細胞生物が挙げられます。世界最小の生物は、細菌のマイコプラズマだそうです。

ところで、その生物はどのように誕生したと思われますか?これを解き明かすには、まず生命とは何かを考えていかなければいけないと思います。

生命とは何か?

またまた変な質問と思われるかもしれません。けれども、これを考えることが、これからの時代において、とても大切なことだと思うので、もしできれば少しだけお付き合いください。

すべてを物質から紐解こうとする「唯物論」の立場から、生命を考えてみると、以下のようになるようです。

生物や生命の理解に関しては、生命が物質と物理的現象のみによって説明できるとする機械論があり、生気論と対立する。また、生物が神の意志や創造行為によって産み出されたとする創造論を否定し、物質から生命が誕生し、進化を経て多様な生物種へと展開したとする、いわゆる進化論の立場も、唯物論の一種と考えられることがある。
※ウィキペディア「唯物論」より引用

つまり、物質があって、そこから生命が生まれるということです。

たしかに私たちが、「自分に生命がある」と自覚できるのは、脳のおかげです。仮にそこに生命の源があるとしたら、そのが肉体の一部として物質化しているわけなので、脳から生命が生まれたと考えることができるかもしません。

何かの偶然で、物質が組み合わさって、それらが複雑になっていく過程を重ねていって、気がついてみたら、そこに生命が生まれていたというのが、「唯物論」的な生命の誕生と言えるでしょう。

そして生命を内在した生物は、突然変異を繰り返し、繰り返し、繰り返し・・・最終的に、今の私たちのような人間ができあがったというのが、一般的な進化論です。

それを踏まえたうえで、こちらのセントラルドグマ」に関する動画をご紹介させていただきます。長い動画なので、全部見ていただく必要はありません。ただ、私たちの体の中で、日常的に行われている生体活動をまとめているコンテンツとなります。

セントラルドグマとは生命のプログラムの最も根本にある情報の流れです。細胞の核にあるDNAから情報を読み取り、そこに書かれた設計図通りに体内で必要なタンパク質を作り出していく分子マシーンたちの見事な共同作業の様子をご紹介します。

数十秒だけでも見ていただければ分かると思うのですが、これ、凄すぎませんか?

今まさに、日本で使われている新型コロナウイルスのワクチンは、mRNAワクチンでもあるので、少し取っ付きやすい内容になっているかもしれません。しかし、それにしても、こんな複雑怪奇なことが、当たり前のように行われている生物って、一体、どうなっているんだよ!ってツッコみたくなるレベルです。

こんなもの凄いプログラム、体内の仕組みが、突然変異のような偶然の積み重ねでできるって、ちょっと尋常ではないと思えてならないのです。

例えば、私が目隠しをしたまま、適当にPCに向かってガチャガチャタイピングをしていたら、とんでもない優秀なプログラムができてたとか、不朽の名作小説ができあがっていたとか、そんなことがありえるでしょうか。仮に数億年の歳月をかけてよいとしてもです。

げあwがえがzばぽえいrばれbぽいじゃdfべzrfbぽまえr

数億年かけたって、おそらくこんなジャンク文字列が、延々と続くだけなのではないかと思えてなりません。

そこで、以前にも書いたこちらの新説・進化論に立ち返ってみたいのです。

単純に物質と物質の間で、電荷の交換がなされ、それがある種のネットワークを構成していたら、そこには思考があると考えられるわけです。例えば鉱物や雪のような塊が、ひとつのところに停滞した場合、それが思考する可能性があるのではないかということです。これは地球上のみならず、宇宙空間まで含めれば、その思考する「何か」はいろんなところにあると考えられます。
※「新説・進化論~思考から生命が生まれる~」より引用

ここでは、「思考する「何か」」と表現しているものを、私は「生命(もしくは生命体)」と考えるべきではないかと思うのです。上述の表現をそのまま借りれば、生命というのは以下のように整理できることになります。

生命とは、物質と物質の間で、電荷の交換がなされ、それがある種のネットワークを構成していているもの

こう考えると、生命は必ずしも生物にのみ内在するものではなくなります。生物として活動していなくても、「思考するだけの生命体」がありうるのではないかということです。つまり、生物と生命体は別物になります。

先に挙げた「生物はどのように誕生したか?」という質問の答えは、この「思考する生命体」が、意図的に創り出したものと考えられるのではないかと思うのです。このように考えていくと、その後の生物の進化は、そうした「思考する生命体」によって、成し遂げられたということができるようになります。

少々、ぶっ飛んでいると思われるかもしれませんが、私たち日本人的な発想でいえば、「山も川も生きている。あらゆるものに魂が宿っている」というような八百万の神の考え方は、古来よりあるものです。そうぶっ飛んだ話でもありません。また、このように考えれば月も、地球も、太陽も・・・宇宙全体が生命体であると言うことができます。

こうした「思考するだけの生命体」のことを「神」と呼ぶこともできると思います。私はあまりそういう言い方は好きではありませんので、ここではそのようには扱いません。しかし、そう呼ぶ人がいてもおかしくないでしょう。

さてここで、今回、私がこのテーマを取り上げた理由です。

今、世界は大変な方向に向かっていると思います。日々、目の前で起こっていることだけに囚われると悲観的な気分にもなります。私たちの生活からは自由が奪われ、世界的に共産主義への流れができているように思えてなりません。

しかし、共産主義の人々というのは、「唯物論」や「唯物史観」の人々であり、無神論者たちでもあります。言葉を発しない生命体など、全く眼中にありません

私には、特定の宗教があるわけでもありません。基本的には無宗教です。しかし、生命の考え方については、「唯物論者」や「無神論者」の人々とは相容れませんし、彼らの思想に支配されることもないと思っています。逆の言い方をすれば、彼らがあまりにも強欲で、横暴な振る舞いをしていたら、「でっかい生命体」からのしっぺ返しがあるかもしれないという気すらしています。天罰というやつです。

繰り返しですが、宗教ではないので、「信じる者は救われる」などと言うつもりはありませんし、そんな単純な話でもないと思います。ただ、なんかこう・・・負ける気がしないのです。

宇宙が生命体だからなんだというのか

まぁ、そう言われてしまうと、たしかに何だというわけでもないです(笑)。ただ、お天道様はみています。正しいと思ったこと、自分たちができると思うことを目一杯、手を尽くしてやってみる。そういうことが大事であり、それを続けていくことで得られる奇跡というのは、必ずあるのではないかと思うわけです。

負けてられません。

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