分業体制を一旦なくして考えてみる
社会は、とっても便利になりました。
一日のうちで、「何を食べようか」ということを考えることはあっても、「食べ物をどうしようか(どうやって取ってこようか)」を考える必要はありません。木の実を探すとか、魚を捕まえるとか、そんなことは一切考えずに済みます。
今の世の中、分業体制で回っています。
どこかの誰かが作ってくれたものを買えば、事足りてしまいます。私は、私の仕事をして、お金をいただくことさえできていれば、そのお金を食べ物と交換してもらうことが可能です。
分業体制、万歳ですっ!
今は、分業体制のおかげで、食べ物については、ほとんど何も考えなくてよくなりました。その日、その瞬間、食べたい食べ物を思いついたら、お金をもって街に出かけたり、スーパーに足を運びさえすれば、大抵のモノが手に入ります。大変、ありがたいことです。
でも最近、それではイカンのではないかと思い始めました。
自分が食べるものは、もう少し自分のこととして、真面目に考えた方がいいのではないかと思ったとです。
例えば、肉食についてです。
豚肉や牛肉、ずっと食べてきています。しかし、目の前に豚や牛がいるとして、それらを殺して、食べることができるか?と考えてみると、答えは圧倒的に「NO!」です。殺せません。今日の食事のために、それをやれと言われても絶対に無理です。泣きたくなるほど、できないっす(涙)。
どこかの誰かに殺してもらわないと、豚や牛が目の前にいても、食べることができないなんて・・・そう考えたら、果たして自分が、豚肉や牛肉を食べることに正当性があるのかという点、揺らいできてしまうのです。
もしかしたら、こういう他人任せの生き方って、よくないんじゃないか?
今の社会が、分業体制で回っていることをいいことに、(豚や牛を殺すという)自分が絶対にできないようなことを他人任せにして、その成果物を口にするということが果たして正しいのか、今一度、よく考える必要がある気がしてくるのです。
タマゴは大丈夫、自分で取ることはできそうです。魚も、自分で釣って、そこそこに捌くことはできるような気がしています。したがって、このあたりは、食べても問題なさそうです。もちろん、穀物や野菜の類は、まったく問題ありません。
でも、肉となると話が違います。
私は、けっしてベジタリアンでもありません。実際、今日はハンバーグを食べました。けれども、これから先、真面目に考えていくと、肉・・・食べてはいけないような気がしてくるのです。
もちろん、これもです。
虫を捕まえて、食べたいと思う????無理です。絶対に思いません。
食べるための虫を捕まえたいなんて、絶対に思わないです。もちろん、誰かが食べるための虫を捕まえてきてくれたとしても、それを料理して食べたいという気にもなりません。
誰かが粉末にしてくれたら食べられるかも???
仮にそうだとしたら、それは他人任せになっている分業体制の弊害なのかもしれません。分業体制のおかげで、いろいろと考えなくても済むようになってしまった結果、他人任せにして、目に見えないところで起こっていることに対して、それがさも「なかったこと」のように感じてしまう生き方に慣らされている可能性があります。
でも、それって問題ないです?
分業体制、大変大変ありがたい仕組みです。
でも一旦、それがなかったと仮定して、一度は全部、それらを自分でやってみることを想像してみるのも大切かもしれません。
一度、すべてを自分でやると想定してみて、そこから信頼できる人たちに、少しずつお任せするという順序で、自分の生き方を整理することができたら、自分の身の周りがキレイに整っていくことになるでしょう。やるべきことはやるし、やるべきでないことはやらない(虫は食べないなど)ということが、はっきりしてくると思います。
また、そう考えることで、周りに対する感謝の気持ちが、自ずと生まれてくるかもしれません。
すべてを自分でやろうと考えたら大変です。大変すぎて、押し潰されそうになるはずです。そんな自分でやろうとしている(けれどもできない)大変なことを、他の誰かにお願いできるということは、非常にありがたいことでもあります。そうなったら、自ずと感謝の心が生まれるでしょう。
良いこと尽くしです。
分業体制がありがたいことは言うまでもありません。
でも一旦、その分業体制がなかったら?で考えてみるのも、いいんじゃないでしょうかね。
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