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地球人なめんなよ

人生、「何かを悟る」瞬間というのは、あるのだと思います。

私も、とあるヨガ教室に通っていた時に、そういう体験をしたことがあります。そのときやっていたことといえば、しんどいポーズをとって、20分とか30分とか、そのままじっとしているといった単純なことでした。何も難しいことではありません

ただ、しんどいのです。しんどいので、「なんでこんなことをやっているんだろう?」という気になってしまいます。そして、そこで内観をするのです。

その苦しい状態から逃れるわけでもなく、それを受け入れつつ、「無我」や「無私」の状態に入っていくのだと思います。自らを、敢えてそういう状態に追い込むことによって、「悟り」の世界を切り拓いていくわけです。

これは、何も特別なことではなく、広く宗教などでも取り入れられている方法論のひとつだと思います。

宗教における礼拝の類は、瞑想や座禅のような「内なる存在」との対話ともいえます。そこには、まさに目に見えない、宗教が扱っている本質があると考えられます。
例えば、目を閉じて礼拝や瞑想をしていて、何かしらのインスピレーションを感じたとします。そこで目を開けると、何かの「像」が目の前にあったらどうでしょう。その「」によって、導かれたと感じるかもしれません。
救いを求めている人からすると、とても分かりやすいはずです。「像」にそんな力が宿っていると思われれば、宗教の運営側からしてみても、都合がいいでしょう。宗教が扱うべき本質とは別の意味で、偶像は役に立つのです。

「偶像崇拝の限界と楽しみ方」より引用

座禅や瞑想のように静かな状態で、内なる存在との対話をするような手法もあれば、滝行や断食などの苦行によって、内観を促し、「悟りを得る」ような方法もあるということでしょう。

こうした苦行も、まさにそうした「悟りを得る」ために行われるものです。

比叡山延暦寺(大津市)の荒行「千日回峰行」のうち、比叡山中の明王堂にこもり9日間断食、断水、不眠、不臥で不動真言10万回を唱える最大の難行「堂入り」に挑んでいた延暦寺善住院住職、釜堀浩元さん(41)が21日未明、無事満行し、出堂した。達成した行者は8年ぶり、戦後13人目。

産経新聞
「9日間断食不眠! 延暦寺の荒行「堂入り」、釜堀住職が満行 戦後13人目」
2015年10月21日より引用

9日もの間、断食・断水・不眠・不臥って、そりゃ大変です。マスコミが取り上げるのも、分からないでもないです。しかし、そればかりに目が行ってしまうと、本質を見失うことにもなります。

大切なことは、その苦行自体にあるのではなく、「悟りを得る」ことができたかどうかです。そして、その観点からいったら、わざわざ苦行をしにお寺まで行く必要がないことも分かります。

仮に、日常生活を送るうえで、困難や苦しみがあるとしたら、それがまさに「悟りを得る」ための材料なのです。わざわざ、お寺に苦行をしに行く必要はありません。日常生活は、「苦行の素」で溢れています。

それらを敢えて「素」と呼ぶのは、それが捉えようによっては、「悟りを得る」ための材料であり、それに溢れているということは、逆に宝の山に囲まれているということもできるからです。

苦行の素」は、あくまでも「素」でしかなく、その人の捉え方次第で、どうとでもなるということです。

「今、経験していること」、「今、苦労していること」、「今、おかしいと思っていること」・・・それらにブー垂れるだけでなく、全部、次の時代を作っていくための肥やしとして、きちんと活かしていくような人生にしたいものです。

「「下積み」を活かしていこう」より引用

記事の冒頭で述べたように、私は、ヨガ教室で、敢えて自分からしんどいポーズをとって、そのしんどさと向き合うようにしていました。しかし、人によっては、そんなものが全く必要ないという人もいるはずです。

実社会で生きているだけで、しんどいという人は、たくさんいると思います。そんな人は、わざわざヨガ教室やお寺に行く必要もありません

「しんどいことだらけ?」
「苦しいことばっかり?」
「辛いことしかない?」

なんだそれーーー。大チャンスじゃないですか。

それをただの「しんどいこと」と捉えているから、いつまで経っても、そこから抜け出せないのです。そこから学び、「悟りを得る」ことができれば、そんな「しんどいこと」は、どっかに消し飛んでしまいます・・・で、また次の「しんどいこと」がやってくるのです。

それが分かっちゃったら、そもそも心の底から「しんどいこと」なんてものは、なくなってしまうことでしょう。

オフィル(星)の人たち、わーってみていくとさ、みんなめっちゃ楽しそうでさ、幸せそうに歩いているわけよ。なんでみんな、こんな楽しそうなん?オフィルの人たちは進んでいてるから、先々のことを思い悩んで、こうなったら嫌やなぁ、ああなったら苦しいなってことを一切考えないのよ。今を純粋に楽しむ今、この瞬間を満たしていくっていうことを大事にしてるよーみたいな。
(中略)
物事、問題としてトラブルとして扱ってないと。自分の人生の課題というか、新しい挑戦ができたなと思って、それに対して向き合ってるみたいな。自分自身の挑戦やなっていうふうに解釈しているわけよ。病気になったりとか、辛いことがあっても、自分に対する、自分がまた成長できるチャンスやな、挑戦なんやなって捉えてるから、みんなめちゃくちゃ元気なんやと。

アミ小さな宇宙人」の話です。

この際、本当に宇宙人がいるかどうかという議論は、横に置いておきます。今、それはどうでもいいことです。

ただ、仮に宇宙人がいたとして、地球人が、彼らに比べて下等であるかのような考え方に対して、私は異論を挟みたいと思っています。

こんなに「苦行の素」だらけのところに住んで、そこでバッチリ修行をしている地球人です。「悟りを得る」人たちが、続出するかもしれません。もしそうなったら、地球人は、そこらであぐらをかいているような宇宙人よりも、ずっとずっと高度な生命体になっているかもしれません。

てなわけで、今日の結論・・・「地球人、なめんなよ」ってことです。


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