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九州にあったと思う邪馬台国

邪馬台国があった場所については、様々な議論があり、私ごときがその論議に決着をつけられるような話ができるとは思っていません。そうではありますが、今回は少しだけ、このテーマで記事を書きたいと思います。

それにしても、なぜ邪馬台国をテーマにして記事を書くかというと、この問題が古代史、日本の国としての成り立ちを考えるうえで重要ではないかと思うからです。しばし、お付き合いください。

ご存じの通り、邪馬台国の所在については、主として畿内説と九州説が有力なものとして議論されています。

まず畿内に何があるかというと、纏向(まきむく)遺跡です。ここには確かに大きな政権があったと思われます。この中にある箸墓古墳が倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)のもので、卑弥呼の墓であるという説があります。さらに邪馬台国(やまたいこく)という名前が、大和(やまと)という発音に似ているという指摘もあります。

この他にもいくつか、畿内説の論拠は挙げられるのですが、見落としてはならない重大なことがひとつあります。それは日本の歴史書である古事記や日本書紀に、卑弥呼らしき人物の名前が見当たらないということです。仮にも邪馬台国がヤマト王権であったとして、その王が卑弥呼だったとしたら、それらしき人物(あるいは神様)が登場して然るべきだと思います。しかし、それが見当たらないのです。

一部では、天照大神が卑弥呼だったという話があります。たしかに天照大神が女性だとしたらその通りです。しかし、天照大神は元々、男性神だと考えられます。伊勢神宮の内宮・外宮には、天照大神と豊受大神が祀られています。一般的に陽が男性で、陰が女性とされてきました。天照大神が文字の通り太陽神であることを鑑みれば、天照大神が男性神で、豊受大神が女性神とみるのが自然でしょう。

話は込み入りますが、それでもたしかに天照大神が女性だとする見方があるのは確かです。ただし、それには古事記や日本書紀の成立背景が関係していると思われます。つまり元々、伊勢神宮で祀られていた男性神の天照大神が、古事記や日本書紀で女性神のように書き換えたということです。この問題は、いずれ取り上げたいと思います。

別の話として、神功皇后を卑弥呼と比定する説もありますが、これは「女性」という共通項以外、さして注目すべき論点があるようには思えないので割愛します。

話を元に戻します。古事記や日本書紀には登場しない卑弥呼は、どこに出てくるのでしょう?皆さんよくご存じの通り、「魏志倭人伝」という中国側の文献です。当時、既に纏向遺跡の場所にヤマト王権はあったかもしれません。しかし、そのヤマト王権は、まだ九州まで勢力範囲が及んでおらず、九州に位置していた邪馬台国が、中国大陸との交流を持っていたため、中国側の文献にだけ邪馬台国・卑弥呼が登場するようになったのでしょう。

邪馬台国が九州にあったと考えると、その後の朝廷による熊襲討伐(九州征伐)、つまり当初、九州が勢力圏外だったという古事記や日本書紀の記述とも符合します。

ただし、この九州説の最大の問題は、「魏志倭人伝」に書かれている邪馬台国の位置でした。「魏志倭人伝」に書かれた通りに考えると、方向は九州で合っているものの距離が遠すぎて、海に出てしまうという問題があったのです。これについて、最近、面白い動画をみつけたので紹介しておきます。

ここで注意を引くのは、「魏志倭人伝」という書物のタイトルにもある魏の国の事情、もっと言えば「魏志倭人伝」の成立背景です。魏としては、当時の敵国である呉、蜀に圧力をかけるべく、西はクシャーナ朝(中国の西でかなり遠い)を取り込もうとしました。この時、魏の将軍・曹真がこの交渉を取りまとめ、クシャーナ朝には金印を送ったとのことです。

一方で、東からの圧力をかけるべく邪馬台国との交渉を進めたのが̪司馬懿(「死せる孔明、生ける仲達を走らす」で有名な司馬懿仲達)です。このとき「魏志倭人伝」が、司馬氏が皇帝になった西晋の時代に書かれたものということを念頭に置く必要があります。司馬懿の功績を、曹真に負けない手柄にするため、嘘にならないよう工夫をしながら話を盛ったというのです。自分も「東の方の遠い国」と交渉し、仲間に取り込んだというストーリーに仕立てるため、邪馬台国がわざと大げさに遠くにある国のようにみせたということです。

なお、魏が邪馬台国を取り込むには、そうした目的があるわけですから、わざわざ遠くにある畿内の国ではなく、中国(敵国・呉)により近い九州の王に金印を授けるのは、自然なことだったというのも腑に落ちます。

以上のことから、邪馬台国は九州にあったと思います。

そして、邪馬台国が九州にあったということが、実はそれ以降のヤマト王権や日本の古代史を考えるうえで、非常に重要な意味を持つのではないかと考えています。それは、邪馬台国が九州にあったという事実によって、古事記や日本書紀に書かれている物語に、それらしい解釈を与えてくれるからです。それらについては、またあらためて、少しずつまとめていきたいと思います。

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