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よもぎのたからもの

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ぼくをかたちづくる、スキあふれちゃうnoteをあつめました。人の宝箱はかんたんに見ちゃいけません。
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2019年7月の記事一覧

収まるべきところへ

20190729 わたしが京都に住む男の子だったら、「今日の夜、鴨川沿いをさんぽしようよ」なんてちょうどいい理由をつけて、会いにいくのにな。 5月の下書きに残っていた。 ◯ 最近、すっかり生活と仕事に呑まれてしまった日々だけれど、無性に、京都へ行きたくてうずうずしている。仕事に集中できなくなってしまった午後なんかは特に。5月の誕生日にあわせた10日間、京都で満たされたはずだったが、それはただのつもりで、蓄えておけるような感覚でも無いと知る。 いつもだったら、夜行バス

「服で"ファッション"しなくてもいい」時代に、「服で"ファッション"したい」と思わせるブランドでありたい

もう「 服 = ファッション 」ではないと思う。まるでSNSはストリート。自分の個性をかつてのストリートファッションのようにインターネット上で表現できる。きっとみんな心当たりがあると思う。絵が描ける人、歌が唄える人、喋りが上手い人、動画の編集ができる人、これまではある程度、誰かに見てもらうためには時間がかかった自分の特技を簡単に自分の知らない、でも自分と近しい価値観を持つ人に知ってもらうことができる。(良くも悪くもではある) SNSだけじゃない。ソーシャルゲームに課金をすれ

人の手で作られたものしか買いたくない。

アクセサリーについての話です。あったら良いけど、あってもなくても生きていくには困らない。アクセサリーって、なぜ買うんでしょうか。 *** こんばんは。天然石の手仕事ジュエリー ひかりのいしむろの原口あゆみです。昨日は、私の石好きの原点のお話を書いたのですが、今日は私の手作りアクセサリー好きについてのお話です。 今回、ちょっと抽象的な話が多くなってしまったのですが...><   もっと具体的な話とかもまた書きたいです>< よろしくお願いします! *** アクセサリーの

あふれるほどの愛なんてあるかバカ

noteのアプリを開くと、左下に赤い通知の丸が光る。タップすると「◯◯さんがフォローしました」と表示される。 この人、こないだもフォローしてきてなかったか。フォロバ狙いの人か。 ああ、こっちの通知も。 この人上から順番にスキ押したんだろうな。 そういうの、その人のアカウントを見るとだいたいわかる。 釣り餌の、「スキ」。私のテキストに動かされたわけじゃない。そういうノイズが、赤い丸になって画面右下でちかちかと点滅する。 そういうの、すぐわかる。だって私もこないだまで

距離感が癒すこと

一度だけ飲んだことのある方からメッセージが届きました。その内容は、飲み会中に僕がしたアドバイスを受けて、そのあと実際に行動に出て、新しいスタートを切ることができたという報告でした。 「その節はありがとうございました!」と言ってもらえれば僕も嬉しいのだけど(酔っ払う直前だったから話したことは憶えてる)、「頑張ってくださいね!」と返信したあと、ふと不思議に思ったんです。 その方は僕と飲む前にいろんな人に相談もして、その間に無数のアドバイスの積み重ねがあって、僕の言葉はそのうち

【掌編小説】わたり鳥

(一) そのわたり鳥は、季節ごとに北の大陸と、南の島をわたっていた。 何年も、何年も、わたっていた。 *** わたり鳥にとって、空をわたることはなにぶん嫌なものでもなかった。 ひろい空を、気流に乗って、翼を広げて前に進む。 それはわたり鳥にとって"作業"だった。 それは本能的なもので、義務的でもあって、当然しなければならないことだと理解していた。 いわば諦められていたのだ。 諦められていたから、寒さや退屈や空腹など、空をわたることへの苦労なども気にならなかった。 そのわ

理想を叶える力がないから言葉を紡ぐしかない。

泣いても泣いてもスッキリしなくなった。泣いても泣いても何も変わらないことが脳に染み付いてきた。もうこの薬は効き目が薄い。 新しい薬を探さないと。胃の中のものを全て吐き出すことになってもいい。生きたいと思えるような、薬を。 ・・・ SNSってやっぱり残酷だ。 キラキラした生き方をしている人たちを、あなたへのおすすめとかいう機能で数え切れないぐらい見せてくる。自分の周りの人々が自分と向き合って努力してたり、休日には思いっきり楽しんだりする姿が溢れている。 どうしたって自分

「天才じゃん」って君が言ってくれたから。

文章を書きはじめて、もう4年ほどになる。痛々しくて消してしまったものも多いけど、ざっと300本は書いてきたんじゃないだろうか。カバンの中身を紹介した記事、世間に中指を立てるオピニオン、愛やら恋やらを書き散らしたエッセイまで。どこにでもいる薄顔の男子が、インターネットの海に文章を垂れ流している様子はなんとも奇妙かもしれない。 そうやって書くことを続けてきたぼくだけど、「誰かに読まれる」ことに関しては、25歳になった今でも、気恥ずかしいような、後ろめたいような、要するに、「読ん

人生を変えた出会い。

自分の人生がようやく動き出したのではないかとさえ思っている。 ぼくはこの言葉を、ちょうど一か月前のこのnoteで書いた。 10日前にはじまった #人生を変えた出会い のお題募集を見て、改めてそんなことについて書きたいなぁと思っていた。 あまりにベタかもしれないけれど、ぼくにとってのそれは、noteとの出会いだ。 去年の終わりにnoteをはじめて、文章を書くことの楽しさと辛さを知った。 GW明けからはじめた毎日更新も、先日50日を超えた。 乏しい思考をフル回転させて、ネタ