旅が人生を広げ、世界が人を高め、貪欲に運を掴みにいく
2023年。今年はよく旅をしている。
2月には真冬の北海道に行き、初めて白銀の世界に身を投じた。あまりの美しさに何度でもここを訪れたいと思った。その後大阪、福岡と様々な感情を抱き日本を横断した。
3月には一年過ごした東京を離れ香川に戻った。久しぶりの地元は最高の居場所で自分の人生に余裕が生まれたことを知った。
4月。富士山を拝みながら自然に触れた。東京での一年を振り返りながら再度訪れた関東はやはり定期的に訪れるべきだと思った。
7月には、5年ぶりの海外。それも初めての出張でアラブ首長国連邦へ。刺激的で自分の目標の解像度も上がった。
8月の1ヶ月間また東京で過ごした。東京の夏の暑さは最悪だったが、東京に戻ってきて自分の中の時の流れと成長を感じた。
9月。16日間、バックパッカーになりインド、タイ、シンガポール、ベトナムを旅した。世界は広く、初めて見る景色、初めて食べる料理、初めて聞く音、全てがこれからの人生を彩ってくれそうな経験になった。
10月。九州、熊本阿蘇、宮崎高千穂へ。日本の四季の素晴らしさと、歴史の深さに息を呑んだ。
11月。秋の箱根に友と遊びにいき、その足でまたUAEへ仕事に。日本で余暇を楽しみ、海外で仕事をこなす。完璧で理想的な1週間。
その帰りの飛行機でnoteを綴る。
旅が人生を広げ、世界が人を高め、貪欲に運を掴みにいく
最近そんなことを思っている。遊びも仕事も学びも目標も人生の全てを天井なしまで引き上げる”旅”と”思考”をここに残してみる。
人生における成功は運か才能か努力か
人生の成功は運なのか才能なのか努力なのか。(ここで成功を何か定義することが必要であるが、ここでは自他共にその人の人生がうまくいっていると認識できる状態としよう。)
このような議論をしばしば聞くがその答えはこの佐藤航陽さんのnoteにあった。(是非読んでみて!)
僕も「どの要素も大事だが人生は運で決まる」と思っている。ただ”運”という言葉の捉え方は重要であるし、”才能”という言葉に惑わされてはいけないと思うし、”努力”を舐めてはいけないとは思う。
そもそも、運は降ってくるものではない。掴みにいくものだ。昔話桃太郎でおばあさんが大きな桃を拾い上げたように、チャンスの神様は前髪しかないように、運は降ってくるものではなくすべてその人の意思によって掴まれたものである。
そして、運を掴むためには”才能”と”努力”が必要である。詳しくいうと、運を掴むために必要なことは”試行回数”であり、その試行回数は”才能”と”努力”に依存する。
まず、”才能”は認識することが重要である。
「私は才能がない」そんなしょうもない言葉は自分への言い訳であり、自分を認識していない証拠である。
僕であれば「とりあえずやってみる力」と「そこから最大限の結果を出す力」に優れている。これは、紛れもない才能であり僕だけが成せる技だと思っている。
”才能”は自分の中では当たり前だが他の人にはない思考だったり、能力だったりだと考えている。
そして、その”才能”をアピールすることでチャレンジの機会を得られ、その機会で結果を出すことが成功につながっていく。
また、僕は”努力”を「続ける力」だと認識している。うまくいくまで続ければいい。世の中に無理なことはない。だって、イメージできているのだから。「無理」と「難しい」を履き違えずにひたすらに試行する。
この試行回数こそが”努力”であり、そのうちうまくいく。成功を運に依存すると捉えれば、運は掴むか掴めないかの2択であるから無限回試行すれば成功へと収束していくのだ。(無理矢理)
そして、その”努力(試行回数)”に才能やタイミングや、努力のベクトルなど様々な要素が合致した時にとてつもない力を生み、周りの人はそれを「成功」と捉えるはずだ。
このように、人生は”運”であるが、”努力”と”才能”に依存する。そして、運の要素を細かく認識することで運を掴みにいくアクションをとれる。
そう考えると、僕らが普段この人はうまくいってそうだなと思う人は運を掴んだ人たちなのではないかと思えてくるのではないだろうか。
旅は成功への角度を高めるツールである
旅は成功への角度を高めてくれる。
”才能”は認識することが重要である。認識するためには比較が必要である。比較は自分の中ではできない。外界から情報を取得して処理をして初めて比較ができる。
外界からの情報は、サンプル数が多ければ多いほどいい。それを確実に処理して自分の中に落とし込む。
才能の気づきの材料は”旅”で得ることができる。そこにある自然、生活、食、人を観察し感じ、自分の情報としする自分の今の状態と比較する。
そうすれば自分が世界の中のどこに在るのかわかってくるはずだ。
自分とは何ができる人間なのかを知ることができることもあるだろう。
もちろん比較は他にも活用できるできる。自分が今いる環境、自分の生活、日本と世界の文化、風土の違いからも考察してアクションに落とし込めるであろう。
要するに、試行の幅を広げることにもつながる。
人は、環境に適応していく。試行回数の最大の敵は環境の慣れによるアプローチのアイディアの枯渇であり、試行の展開の仕方がなくなることで試行回数は止まる。
試行範囲を自分の生活圏だけだとすると幅が効かない。日本のどこかで通用するかもしれないし、世界のどかかで成功するかもしれない、宇宙のどこかでしか成功しなかもしれない。
でもそんな発想は自分の想像の範囲内でしか出てこない。自分の認識の範囲を広げることで試行の幅は広がり発想も豊かになる。
また比較された情報は、努力のベクトルを正すことにもつながる。努力のベクトルは仮説に基づく。
仮説は現状の情報から立てる。その人の経験と知識に依存し、それが多かったり深かったりすればするほど、立証の可能性は高い。
旅など自分の経験から得た情報は一次情報で正確性があるかつ主観で処理ができるため価値が高いし、自分が経験したことの方が汎用性も高いし、人はそれを当てにしがちである。
旅を通じた自分の認識できる世界の広がりと、旅の経験から得た情報の価値の高さ、それらから生まれる柔軟な発想を元にした試行は成功の角度をあげてくれるであろう。
運を掴みにいく. 貪欲に.
運は掴みにいくものである。だからこそ、運を運として認識できることは運を掴む最初の一歩である。
そこには貪欲さが必要であると考える。
貪欲さは自分の意識から生まれると思う。
目標や目的を常に意識し続け、ここにチャンスがあるのではないかと常に探る。
そして、自分自身の”才能”を見つけることで自分の能力に言い訳をしなくなる。
世界を広げることで、試行の限界を作らなくなる。
全てを知ることはできないし、何も知らない自分だからこそ学び経験し吸収できるのだと思い込む。
そして、それらは全て自分のためになる。そんな貪欲な思考こそ、この世を渡り歩く術であるし、人生の天井を勝手に設定できなくする。
人生は澄まして生きられるほど甘くない。時に感情のままに情熱で動く必要がある。その瞬間世界で最も貪欲であれば成功は手中に収まるはずである。
これからも続く”旅”
最近少しずつ小さな成功を掴めている気がする。試行回数も増えてはいるし、成功角度は経験と意識から上がってきている気がする。
自分が何者になれるかを日々考え続け、なりたい自分に近づくためにに日々歩み続けている最中である。
まだ何も成し遂げられていないけど、この「成功の掴み方」が僕が22年間生きていろんな人に会って、いろんな景色を見て、いろんな経験を経て立てた仮説であり、この仮説を検証する人生が楽しそうだなと思っている。
いつか「自分が創ったモノで世界を豊かに」したいし、理想像である「スペシャリストのその先の、 世界を変えるジェネラリストに。」なれると本気で思っている。
その時まで、才能を磨き上書きし続けるし、努力を続けるし、年を重ねても試行し続ける。
旅を通して世界の見方を覚えて本当に良かった。これからも、旅が人生を豊かにしてくれるだろう。旅が僕を高みへと導いてくれるであろう。
そんな、願いと誓いを込めてこの文章を閉めよう。
2023/11/09 佐藤壱茶
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