No,122.三島由紀夫の「不道徳教育講座」をわかりやすく解釈してみた。part2
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不道徳教育講座の中で、心に残った文章を咀嚼します。
原文
芸者たちは、こういう人情の機敏の大専門家であって、人が近よるのも怖れる大政治家のハゲ頭をピシャリと叩くことも平気でやる代りに、抜け目なく、女の目から見た一人の男として、彼をみとめるふりをします。そのためには、芸者という存在は、「女であること」の立場を一歩も離れません。芸者が女史になってしまったら、彼女の無邪気な性的嬉しがらせも、相手の心に触れることはないでしょう(p148)。
咀嚼
芸者のひとたちは、他人の気持ちを察したり思いやりをもって接することができるプロです。偉い政治家のハゲ頭をピシャリと叩くことも平気で行う。どんな権威者であっても芸者としての立場を無視するかのように見せかけて、一人の男として認めたふりをする。つまり、偉い政治家の頭を叩くことが許されるためには、「女であること」を最大限に利用する。芸者がインテリ女性になったら、無邪気に頭を叩いたり下ネタを言ったりして喜ばせても、相手の心に触れることはできないだろう。
感想
少なからず、2000年までは「女であること」を最大限に利用するのでわかりやすかったけど、
いまの時代は、#me too運動のようにセクハラや女性蔑視、女性差別と叫ばれる。一般社会においても、男性は委縮し女が女であることを最大限に利用することが難しい時代になった気がする。
いやはや男として、女としての部分を前面に出すことができないので、いろんな面でやりにくいんじゃなかろうか?
最後まで読んでいただきありがとうございます( *´艸`)
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