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No,270.SNSで賑わしている某地下アイドルのDV被害について-DV (ドメスティック・バイオレンス)の実態-


はじめに

某アイドルが「ほんとに彼氏と別れたいのに別れられません、別れ話をすると顔が腫れるまで殴ったり蹴られたりします助けてください」とし、頬が大きく腫れた様子を写真で公開した。

DVの関係性および背景について

DV被害者(以下 、被害者)はどのように「暴力のある生活 」から「暴力のない生活」に自らのおかれている状況を変化させるのであろうか?

2001年のDV防止法制定から20年余りがたつ。DVの相談件数は右肩上がりに増え続け、今も全国で年間約17万件の相談が寄せられている。

またコロナ過においては「政府や地方自治体の相談窓口に寄せられたドメスティックバイオレンス(DV)の5、6月の相談件数が、前年同月比でそれぞれ約1.6倍に増えていたことが分かった」(東京新聞、2020年10月9日 06時00分)

何故パートナー間でDVに発展するんだろう?

1.DVがおこる要因

DV行為をするものを【加害者】、受けるものを【被害者】として説明します(以下:加害者、被害者)。

心理学では【加害者】が以下の①②の性格特性であり、環境要因である③が合わさることでDV行為に発展するといわれている。

筆者作成

① 攻撃性の強さ、乱暴的な性格(促進因)

※すぐカッとなる人

② 馬鹿にされているなどと受け取る認知(引き金因)

※勝手に馬鹿にされていると思い込む人

③仕事などで疲れているなどで自己抑制が枯渇している( 抑制因子 )

※仕事や寝不足などで疲れている時

つまり、①のすぐカッとなる人がDVをするのではなく、③の疲れやストレス状態の時と、①と②が合わさったときにDVに発展するといわれている。

また、DVは繰り返しおこなわれることが問題視されている。

そこでDVは繰り返しおこなわれるのに、
なぜ別れないのかといった疑問が残る。


2.なぜDVが繰り返されるのに、別れたり、逃げたりしないか?

そこには「加害者の被害者意識」と「被害者の加害者意識」にあるといわれている。

筆者作成

3.具体的要因

●加害者側は「イライラさせるから暴力を振るうしかなかった」と思う。

●被害者側は「自分が至らないから暴力を振るわれてもしょうがない」と思う。

こういった心理的要因から関係性が継続され共依存となる。

そして徐々に、精神的なも(暴言やモラハラ)のから身体的な暴力(蹴る殴る)へとエスカレートしていくといわれている。

ここで重要なのは、DVにあったら被害者が加害者意識ではなく【被害者意識】を持つことだろう。

つまり、ちゃんと「嫌なことをされたら嫌!」と事実のみに焦点を当てることです。

4.DV被害者の認知傾向

※認知とは人それぞれの受け止め方のことです。

DV被害者なのに私が悪いから暴言を吐かれるといった加害者意識をもつ(認知する)のか?
人の受け止め方(認知)には「抽象的」、「具体的」な解釈があると言われている。

筆者作成

例えば、「会社にどうやって出勤してますか?」と聞かれた場合

●抽象的パターン
「車やバスなどの交通機関」と答える。

●具体的パターン
「プリウスでどこの道を通って出勤している。又は、なになに交通の何時行のバスで出勤している」と答える。

そのことを踏まえて、DVで暴言や暴力をふられた場合

●抽象的パターン
抽象的だと「許せないと伝えるために、私のために殴ったんだ」と正当化する余地が生まれる原因になる。

●具体的パターン
具体的に考えると「このように暴言を吐かれた!この人に3発殴られた!」と具体的に認知することで、嫌なものだと受け止めて傷つけた相手から離れるといった行動に移れる。

実際に、抽象的に受け止める人は暴言や、暴力をふられた場合、具体的に受け止める人に比べポジティブに認知する傾向がある。

加害者からの暴言・暴力(ネガティブ)

被害者が抽象的に受け止める

被害者は「私のために言ってくれている、私が至らないから(ポジティブ)」

この受け止め方が、【被害者の加害者意識】につながるといわれる。

また抽象的に捉える人は、この人とは運命でつながれているんだ!みたいな固定的に捉える傾向(運命信念)が高い人ほど、DVをされても好意的に受けとるといった結果もある。

つまり運命的に結ばれていると思っている人は、恋人に嫌なことをされても正当化するような抽象化的な受け止め方をしやすい。

まとめ

被害者がDVにあわないためにはどうすればいいのか?


① 暴力を振るう人は、暴力がエスカレートし慢性化する可能性がある。


② 抽象的に捉えず、具体的に捉える(嫌なことは嫌だと認知する)。


③ 運命的だと思わずに、相手とはともに成長していくことを考える。

つまりお互いに適度に理解して、適度に理解しないといったバランスが大切である。

人に色があるとしたら、赤い色の人、緑色の人、黄色の人などがいて、さまざまな人で成り立っている。

筆者作成

そういった違った人と関わり、理解することはその人と同じ色になるということだが、どちらの色になることは不可能だろう。

互いに違った色をいかに理解する。
つまりグレー(グレーゾーン、よくわからない色といった意味)の中で、いかに理解しあえるのかが重要じゃないだろうか。

ちなみに、人間が認識できるすべての色を混ぜたらグレーになるといった話がある。
結局、自分以外の他人の考えはよくわからないのが答えかもしれません。

最後まで読んで頂きありがとうございました。

引用文献

戒能民江(2024)「DVと家事・育児・家庭生活」『生活協同組合研究』第580巻、pp. 2-3

相馬敏彦・伊藤言(2017)「暴力的な絆はなぜ生じるのか-DVの予防に向けて-」『日本応用心理学会平成29年度公開シンポジウム』第44巻、第3号、pp.193-217


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