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【番外編②】『将国のアルタイル』~オスマン帝国の出現と近世ヨーロッパにおける「国際政治」の幕開け~

※ 本記事は記事シリーズ「あのマンガ、世界史でいうとどのへん?」の記事です。
※ サムネは『将国のアルタイル』1巻表紙より

 今回は第2回番外編です。
 
 本記事シリーズは史実をベースにした「歴史もの」マンガをとりあげ、その作品をその時代背景から紹介するものです。しかし、世界史を語るにどうしても取り上げたい時代ながら、これに該当する作品が(私のマンガ知識不足も災いして)多く見当たらないケースがあります。その代表例がイスラーム圏の歴史でして、中世の章ではイスラーム教の誕生、そして中世イスラーム圏の先進性を紹介する「番外編」として、「先進地域としてのイスラーム」をモチーフとしているファンタジー作品『図書館の大魔術師』をとりあげました。
 今回の記事では近世イスラーム圏の歴史、そしてこれを語るに欠かせない「オスマン帝国」のお話をしたいのですが、やはりうまいこと該当作品が見つかりません。そこで、フィクション作品ながら史実上の近世イスラーム世界、そしてこの世界とヨーロッパとの関係性のエッセンスを巧みに織り込んでいる大作を番外編としてとりあげることといたします。
 その作品とはカトウコトノ先生作の『将国のアルタイル』。講談社の月刊少年シリウスでつい先日完結を迎えた本格戦記ものです。
 


1.オスマン帝国の君臨

 『将国のアルタイル』の話に入る前に、まずは近世イスラーム圏の歴史からお話を始めさせてください。

 『海帝』をとりあげた前記事で振り返りました中国と同様、イスラーム圏もまた、中世後期にモンゴル大遠征の波に飲まれた地域でした。
 しかし14世紀まで時代が下ると、モンゴル勢力による支配国家がイスラーム教に改宗して現地に同化したり、あるいは滅亡したりすることで「モンゴル勢力による支配」から徐々に脱却。アラブ人、イラン人、そして遊牧民族トルコ人といった、モンゴル進出前にイスラーム圏を支えていた人々が再び表舞台へと立つようになります。

 その中でも中東アジア、アフリカ、さらには東欧一帯に及ぶ広大な地域を支配し、なんと20世紀まで存続していた国家が「オスマン帝国」です。
 13世紀末にトルコの小国としてスタートしたオスマンは徐々にその領域を拡大し、15世紀中盤にはこれまでヨーロッパ世界の防波堤として持ち堪えてきたビザンツ帝国を遂に攻略、これを滅亡させます(ここでビザンツ帝国の首都コンスタンティノープルは「イスタンブール」に名称が変わり、今でもトルコの首都です)。
 その後も領土の拡大が続き、最盛期となった16世紀前半には、中東、アフリカ北沿岸部、さらには今のハンガリーに至る東欧地域を支配。対内的にも、初期に国家を支えたトルコ系遊牧民軍人に限らず多様な民族を登用し、政治・軍事双方で戦力とする「多民族・多宗教国家」を実現。まさに充実の時代を迎えるのです。

 そんなオスマン帝国の動きの中でも、世界史という観点から見て特に注目すべきなのが、ビザンツの陥落によりヨーロッパへの進出が進んだ結果、当時高度に複雑化し始めていたヨーロッパの国際政治にオスマンが直接関与し始めたことだと思います。
 これまでの政治的対立や戦争は、あくまで中華圏、イスラーム圏、ヨーロッパ圏といった一つの文化圏の中で行われることが主であり、異なる文化圏を跨いだ国際関係というのは、古代ローマ帝国のような超大国の出現や、十字軍のような例外的な大規模軍事行動を除いてあまり見られないものでした。しかしオスマン帝国の大国化以降、特にイスラーム圏とヨーロッパ圏という二つの世界が、徐々に一つの舞台に溶け込んでいくのです。
 

2.近世ヨーロッパにおける国家間紛争の激化とオスマンの関与

 その様相を見ていくため、一度視点を転じまして、その頃のヨーロッパがどうなっていたかを見てみましょう。

 本記事シリーズの中で、最後にヨーロッパ主要国の動きを見ていたのは『狼の口 ヴォルフスムント』の記事でした。中世ヨーロッパを支えていた騎士・諸侯が十字軍遠征による疲弊等の影響で力を失っていく一方、古代以来の復活を見せた貨幣経済の中で、貨幣による傭兵への給与支払いにより騎士・諸侯に頼らず軍事力を維持できるようになった国王らの権力が強くなっていきます。これにより各国家は「地方権力者(=騎士・諸侯)の寄り合い」という中世的国家像から、「君主の主権の下に統制された統一組織」という、私たちにとって馴染みのある近代的な国家像へと移行していくのです。

 しかしそのような国家像の移行は、ヨーロッパ世界における政治的・軍事的対立が、「国家vs国家」という大規模なものに激化していくということでもありました。 
 この近代戦争の幕を上げたのは、百年戦争(『レベレーション』の記事ご参照)の勝利を経て王権強化が進んだフランスでして、15世紀末、経済力の取り込みを狙って商業が盛んだったイタリアへの侵攻を開始します。しかしこれに待ったをかけたのが、隣のフランスに強大になられては困る神聖ローマ帝国(ドイツ)。『狼の口 ヴォルフスムント』の記事でも言及したように、神聖ローマ帝国はフランスと違って「地方権力者の寄り合い」の状況が続いていましたが、その地方権力者の中で突出した力を持つようになっていた「ハプスブルク家」が神聖ローマ帝国の代表のような立場になっており、ハプスブルク家とフランスの間で、大規模な戦争が始まるのです(イタリア戦争)。
 フランスは神聖ローマ帝国がスペインやローマ教皇と同盟を結んだことを受けて一時撤退を図ります。しかし、ハプスブルク家がその後政略結婚によりなんとスペイン(この頃この国は大航海時代における海外貿易で強大な経済力を手にしつつあったことを思い出してください。『ダンピアのおいしい冒険』の記事ご参照。)の王位を奪取。東西をハプスブルク家に挟まれる形になり焦ったフランスは再度イタリア侵攻を開始しますが、この頃のハプスブルク家の勢いはすさまじく、戦況はやはりフランスの劣勢に。さらに当時フランスに味方していたローマや政治的に対立関係にあったフィレンツェも攻撃を受け、イタリアで隆盛を極めていたルネサンスはここで大きな打撃を受けることになります(このフィレンツェ戦役こそが、以前の記事でとりあげた『アルテ』作中で描かれる戦争です)。

 そして、ここで顔を出すのがオスマン帝国です。イタリア戦争真っ最中である1529年、当時最盛期を迎えつつあったオスマンは神聖ローマ帝国の背後をつき、ハプスブルク家の拠点であったウィーン(現在のオーストリア首都)を強襲します。スペインを手中に収めてフランスを挟み撃ちしたと思っていたハプスブルク家は、西ではフランスと戦争、東ではオスマン帝国と戦争という両面作戦を逆に強いられてしまうのです
 そして話はここで終わらず、フランスはこれを奇貨として異教徒のオスマン帝国となんと同盟を締結。両国は神聖ローマ帝国への対峙において連携を開始することになり、オスマン帝国は地中海でスペイン海軍と交戦するなど、ハプスブルク家に圧力をかけます。ここにオスマンは、非常に複雑化した近世ヨーロッパの国家間対立に、当事者として関与を始めるようになるのです。

 この現代においては、ある文化圏の対立や戦争が別の文化圏に影響を与えるというのはごく当たり前のことです。ロシアによるウクライナ侵攻は、東欧から遠く離れた国家においてもロシア産資源の輸入規制等の制裁を発動させ、その国の経済に影響を与えています。さらに、ウクライナ・ロシア産穀物の輸出の滞りはアフリカの食糧事情をシビアにさせ、アフリカの一部国家がロシアの味方につくような動きも見られます。20世紀に起こった二度の世界大戦以降、一地域の対立が世界全体を巻き込むようになっているのです。 
 そのような現象の端緒の一つとしても解釈できるのが、上記のような近世ヨーロッパにおける国家関係の複雑化、そしてこれに対するオスマン帝国の関与による、文化圏を跨いだ政治的・軍事的対立の出現なのだと思います。近世以降、一つの地域の歴史を語るには別の地域の歴史も併せて語らなければならないようなケースが増えてくるのですが、そのような一つの「地域史」では語りつくせないダイナミックな動きこそが、「世界史」なる分野の存在意義の一つなのでしょう。

3.ヨーロッパ-オスマンの関係を再現した『将国のアルタイル』

3―1.史実との類似点・相違点

 そんな地域を跨いだダイナミックな国家間対立の要素を、近世の史実に似た舞台設定で見事に再現した作品が、架空戦記である『将国のアルタイル』です。
 本作の主人公は、ルメナリア大陸の南東部に位置する「トルキエ将国」の将軍マフムート。彼は史上最年少でトルキエの将軍に起用されたエリートでしたが、隣国バルトライン帝国の画策で起きた国内の反乱鎮圧にあたって、国に命令されたわけでもなく自己判断で反乱に巻き込まれた友人を救ったことを咎められ、将軍の地位を剥奪されます。彼は自らが選択した行いの正しさを信じつつも、「国家の軍人」として必要なものを自らが持ち合わせていないことを自覚し、見識を広げるため諸国を巡る旅に出ることに。そして旅の過程で彼が得る成長と出会いは、バルトラインとトルキエによる戦争が不可避となっていく逼迫した世界情勢の中で、やがて彼を再び表舞台へと誘うことになるのです。

 まず本作の面白い点として指摘したいのは、その世界設定が近世ユーラシア大陸の情勢に非常に類似しているところです。
 遊牧騎馬民族による国家であるトルキエは遊牧民族トルコ人が建国したオスマン帝国に相当する一方、バルトライン帝国は明らかにヨーロッパ風の国家であり、本作で描かれるバルトラインとトルキエの戦争は、そのままオスマンとヨーロッパの対立に相当します。また、マフムートが最初に旅先に選んだポイニキアという小さな海洋都市は、かつて大陸広域を支配する大帝国であったという設定があるのですが、これは明らかに古代ローマ帝国と、その末裔であり近世には弱体化していたビザンツ帝国がモデルでしょう。さらにルメナリア大陸の南には地中海を思わせる内海、そしてその向こう側にアフリカを思わせる大陸が広がっているほか、ルメナリア大陸のはるか東方には中華風の大国が位置し、そのさらに東側には日本のような小国の存在が示唆されます。まさに、ユーラシア大陸を少しだけアレンジしたような世界が作中に広がっているのです。

 しかし、史実そのままに物語を展開させては架空戦記の意味がなくてでして、登場する国家やその配置は史実に寄せつつ、それでいて作中で進む政治的・軍事的対立は微妙に史実からズラされているのも本作の面白いとこところです。
 例えば、ビザンツ帝国を滅亡させたのは史実ではオスマン帝国ですが、本作ではバルトラインが物語の序盤でポイニキアに侵攻、支配下に置いています。あるいは、本作中盤ではバルトラインが先制攻撃を仕掛けることでバルトラインvsトルキエの大戦争が始まるような展開になっており、トルキエ側が主人公である物語だからか、どちらかというとバルトライン側が「侵略者」として配置されるような物語になっています(史実は明らかにオスマンのほうが積極的な領土拡大を行っています)。
 それでいて、その過程で描かれるトルキエ・バルトライン双方による政治工作、深謀遠慮、そしてその結果目まぐるしく動く各国家間の関係は、上記のイタリア戦争におけるオスマン・ヨーロッパ各国の動向を思わせるような本格的な政治・軍事ドラマとして仕上がっている。単体で読んでもとても楽しい良質な戦記ですが、モチーフとなった歴史を知っているとさらに楽しめる作品だと思います。

3-2.多様性か、専制か

 また、もう一つこの作品で指摘しておきたいのが、上記でも紹介したオスマン帝国の「多民族・他宗教国家」ぶりが、本作のテーマとして積極的に取り込まれているところです。トルキエは様々な部族が集合することで組織されたモザイク国家であり、この点も異民族・異教徒を積極的に採用したオスマン帝国に近いところがあるのですが、本作ではそんな「多様性」がトルキエの強みになるような展開が、反復して描かれていきます。
 
 具体的には、マフムートはその旅の過程で出身や身分を問わず能力のある者と多数関係を築いていき、彼ら彼女らはやがてバルトラインとの最終決戦においてトルキエの大きな戦力となります。また、個性豊かな将軍それぞれの現場判断に戦い方が委任されているトルキエの軍事体系は、戦場で遭遇する様々なピンチへの臨機応変な対応を可能にするのです。一方でバルトライン帝国では上意下達が徹底されており、どの部隊も同じように動き、また個々の兵士も繰り出される命令を正確に再現します。また、政治・軍事上の判断は中枢にいるごく少数の天才によって行われており、それが絶対的皇帝権限の下、確実に実行されていく。その高度に組織化された政治機構・軍隊はトルキエを着実に苦しめるのですが、やがてその高度な組織化こそが、バルトラインを思わぬ落とし穴へと誘っていく。そんな展開が本作では描かれていくのです。

 しかしそこで話が終わらないのが本作の奥深さでして、本作はトルキエがバルトラインに勝利した「その後」の話を描く最終章において、その「多様性」を批判的に再検証していくのです。
 というのも、トルキエが多様な立場・意見を認めようとしても、バルトラインというかつての敵国を統治するにあたっては、やはり軍事的な反乱をも辞さないような抵抗勢力も現れるわけです。この時、こうした勢力を「多様性」という一言で放置していいのか、という現実的な問題が立ち上がります。やはり「多様性」では解決できない対立というのは存在するのではないか。対立の調停がもはや見込まれないときは、いずれかの意見を上から押し付けることもやむを得ないのではないか。またやむを得ないのであれば、押し付ける意見としてはいずれの意見を採用すればよいのでしょうか?
 
 これはきっと「歴史観」に関わる話でもあります。『チ。』は、同作を紹介した記事で言及しましたとおり、考え方の異なる人類が互いにぶつかり、己を問い直し、より次元の高い結論を見出すことで、人類は少しずつ「善」に近づいていると主張しました。しかし『将国のアルタイル』は、基本的にトルキエの「多様性」に寄り添いつつも、これに異議を唱えるわけです。考え方の異なる人がぶつかるとき、そこに「善」なる高みへとつながるような調停の余地がないこともありえるのではないか。では、人はその対立をどう扱えばいいのでしょうか?

 この問題は、本記事シリーズのどこかでもう一度振り返ることになるでしょう。

次回:【近代・前④】『イサック』~宗教戦争としての三十年戦争~ 


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