寛容とは
多田富雄さんの本を読みながら書いた自身のメモより。
自分以外のものを抗原という。入ってくるとそれに反応するのが免疫反応だが、ある条件下では抗原が入ってきても反応を起こさないことがある。免疫においてはこれを[寛容]という。
[寛容]の起こる条件は、以下の三つだという。
生まれた瞬間。それから、生まれる前に経験したことには寛容になる。
異物のたんぱく質が非常に微量であるか、非常に大量である時。
口から入れた時。
料理することも食べることも、普段は好きであるはずなのに、なぜ食事するんだろうと思う時がある。
家族との食事の仕度が日々の軸となり、その疲労を癒すひとりの時間にも何かしらを口にしている。
あらゆる抗原を口から取り込み、精神とは裏腹に身体は寛容であり続ける。
食べることとは何なのだろう。
例えばコーヒーを点滴で体内に摂り入れようものなら、激しく身体は反応するに違いない。反応、などというものでは済まないか。ミルを挽く時の抵抗感も、香りもみな[寛容]を手助けする。
なぜ、そのひとの弱さを、老いや病を平らかに受け容れられないのか。
あるいは自分のそれを。
硬くなった心をどうにかやわらげたい。よく見聞きし、わかり、弱さの傍らにある豊かな広がりに視覚や触覚を働かせたい。冬いちごの赤さに華やぐように。豆腐の熱さに心ほぐれるように。
やさしくあること。寛容たれ。
夕食の仕度にかかる。
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