筆とトレビス
トレビスという野菜がある。
一見すると紫キャベツのようだが、葉脈の入り方や質感はレタスに近い。根元は白く、円い葉先に向かって濃い赤紫色となる。赤紫の正体はアントシアニンという色素で、ポリフェノールの一種であるらしい。抗酸化作用で名高いこの物質は、この野菜においてもその作用を発揮し、自身を酸化から守る。だから他の葉野菜に比べて冷蔵庫の中でも格段に長持ちする。味はほろ苦く、レタスではなくチコリの仲間だというのが頷ける。毎朝のサラダに加えると、その苦味が心地よいアクセントとなり、トマトの赤やサラダ菜の緑に落ち着きが加わって景色が良い。その上長持ちするから、私はこの野菜が好きで、いつも冷蔵庫にそのまるっこい紫を備えている。
それが叶わなくなったのは、今年の2月か、3月頃だったか。店頭からトレビスが消えた。
いつも買っているトレビスには、アメリカ産というシールが貼ってあった。輸入農産物に賛否はあろうが、滅多に国産のそれに出会うことはない。よってアメリカ産を購入する。
手に入らなくなったのは、ちょうど彼の地で戦争が始まって程なくのことだった。黒海が封鎖され、なぜアメリカ野菜が日本に届かなくなるのか。合衆国の食糧自給率は132%。わずか38%しかない日本からすれば、少しのトレビスくらい輸出してくれても良さそうなものだが、そうではないらしい。
同じ頃、勤め先では輸入画材にまつわる事件が起きていた。講座で使うはずの筆が手に入らないという。
考えてみれば、画材は輸入品が多い。そして国産のそれよりも、輸入画材に付加価値を見出す使い手もおそらくは多い。野菜とは逆なのだ。否、輸入野菜にもめずらしさというときめきがあるが、画材などにおいてはそれは数倍大きいに違いない。この鉛筆はドイツ製、このスケッチブックはイギリス製。趣味で描く人も、なりわいとする者も、遠くからきた絵具や筆に、期待をこめる。
自分の話をすれば、私は墨や和紙や絹を使うから、少し当てはまらないところもあるけれど。
話を元に戻すと、戦争の影響で画材の仕入れも遅延が起きているらしい。原材料も製品も滞り、もう2年以上になる病禍もあって、欧州からの貨物便は細る一方だという。
職場の事件は解決を見たが、自然保護の動きや何やらも加わり、輸入画材の不安定さは変わらないようだ。
7月末のこと、いつもの野菜売り場を通ると、トレビスがころんころんと置かれている。あっと驚いて近づいてみると、これには長野産、というシールが貼られていた。以前に買っていたものよりも少し大きく葉の巻きが緩やかだが、アントシアニン色の、間違いなくトレビス。迷わずカゴに入れる。明日からまたほろ苦サラダが食べられる。
戦争は、終わらない。