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まるで小説のような表現力の昆虫記
勘違い思い込みがきっかけで読み始めた
「ファーブル昆虫記」は、新たな発見があり
思いのほか楽しく読んでいます。
昆虫記が書かれたのは19世紀で、ファーブルは
"進化論"のダーウィンと親交があった、と聞くとずいぶん前なのだとあらためて感じます。
ファーブル自身の観察・考察・実験を元に記されているのですが、研究発表の論文のような淡々としたものではなく、読み進めていくうちに、
ファーブルと一緒に、そっと虫たちの様子を観ているような感覚になるのです。
また、南フランスでの生活の様子も書かれており
タイムトリップ感もあります。
そして何よりも楽しいと感じたのは、
表現の豊かさです。
まるで小説のような。
例えば
セミとカマキリの箇所では、
もし天がカマキリに、人気の第一条件であるシンバルを与えていたら、この虫は、あの有名な歌い手の名声を超えていたであろう。それほどこれは、姿も習性も奇妙なのだ。
18章カマキリ
この虫の祈りを捧げるような姿勢のなかには、恐ろしい習性が隠されている。慈悲を乞うように体の前で揃えられた両腕は、恐るべき強奪の武器なのだ。それは数珠(ロザリオ)をつまぐるどころか、手のとどく範囲を通りすぎる者を殺し尽くすのである。
18章カマキリ
どちらも、
詩的な比喩、豊かな表現の文章で
まるで小説の一節を読んでいるかのようです。
こういう素敵な表現がたくさんあり、これは、
ファーブルの感性と
訳者の奥本さんの表現力のたまもの
であると思っています。
子ども時代とは違った、新たな楽しみ方ができるのは、今だからでしょう。
間違えた時はショックでしたが
怪我の功名?
歳をとるのも悪くないと思う出来事でした。