【サラバ!】あなたが信じるものを、誰かに決めさせてはいけないわ。【読書レビュー】
こんにちは。べってぃと申します。平成生まれの甘ったれ。東京で不動産デベロッパーとして働いてます。趣味は津軽三味線です。よろしくお願いします。
基本的には読書レビューをつらつら書いていきます。多分。
ネタバレも含むのでご容赦ください。
記念すべき一作目はこちら。
西加奈子さんの『サラバ!』です。直木賞受賞作。
このサラバっていうワードはソウルメイトとの共有されたおまじないみたいなワードですね。
ストーリーとしては金銭的には恵まれた家庭に生まれた主人公が青年になってから堕落してどん底に陥るまでの半生を描いたものになってます。
いい具合にどん底です。
で、主人公がどん底に陥る中で周りの登場人物も時を経るごとにどんどん変わっていくんですけど、一番変化がすごいのが主人公の姉なんですね。
最初巻貝になったりするんですけど、最後国際結婚して爽やかになってたり。最初巻貝になってるってすごいパワーワードだな。
この最終的に爽やかになった姉が堕ち切った主人公に投げかけるワード、これがすごいいいよね~っていうのが本記事の本題。
「あなたが信じるものを、誰かに決めさせてはいけないわ。」
己の信じるものを求め、彷徨い、傷ついてきた登場人物たちが、次々と自分の信じるものを見つけ出し、自身に軸を入れることができていく…そういった変化の中で、この「信じるものを見つける」事から逃げ続けた結果、どんどん堕落していく主人公に投げかけるこのワードがすごい響きます。
この本を通して一番考えたことは「宗教=自分の信じるものの本質とは何か」ということです。
私の周りにはキリスト教の人もいますし、創価の人もいます。
イスラム教徒の友達もいる。けれど、そのことを普段から表に出そうとする人はあまりいないんですね。自分がその人と関わっているときは宗教=信じるものは関係ないのでしょう。
ただ、その人の内面にとってはその宗教=信じるものがしっかりあるからこそ、自身の中に軸を見出せているのかもしれない。実際、キリスト教の先輩は驚異的なバイタリティを持っているし、同じ努力をすることを怠らない。
もしかしたら、「宗教」は「あなたの信じるもの」としてのツールに他ならないのではないか?だとしたら、重要なのは「他の誰か決めさせてはいけないわ」ということになる。つまり、「宗教の選択は、あるとしても、他の誰かに強要されてするものではない。自らが探し求めてたどりついたその時に真価を発揮する」のではないかと考えるわけです。
で、これって宗教だとわかりやすいんですけど、実際にはもっと普遍的なものというか、一歩引いてみればもっといろんなことに当てはまると思っていて。
例えば尊敬している人、例えば熱中しているもの、なんでもいい。それが自身の意志によって探し求め、揺れながらも見つけ出した「あなたの信じるもの」であるならば、それは自身にとっての軸になる。「あなたの信じるもの」を自身の力で見つけ出せた人は強いんじゃないかなと思うんです。ブレない人ってそういうものをしっかり見つけられている人なのかなと。
じゃ、自分はどうなんでしょ。自分は「あなたの信じるもの」を見つけ出せているんだろうか?残念ながらまだそうとは言えないかなと。ブレブレですし。
それでも大事なことは「あなたの信じるもの」を見つけ出すためには、苦しくても自らの意志で探し求めていくことやめないことかなと思いました。
これからも苦しみながらもがいていこ~と思える一冊でした。
こんな感じで読書レビュー書いてきます。自分のブクログに書いた内容をベースにしているのでそこ読むとかぶる部分もあるかも知れないですね。
あと、もやしみたいなヒョロヒョロのブログも書いているのでよかったらどうぞ(宣伝)
以上です。
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