エッセイ | 0から1が難しい
私は何かを始めるということが非常に難しいことだと思っている。やらないとまずいなと思っていても、思っているだけでなかなか手がつかないことや、言い訳を見つけては結局やらないこともある。正直、これらは本当に些細な物事に対して起きることなのだ。
ただ、些細なことをちょっと考え込んでしまって、始めるタイミングを見逃してしまった時に、「ここまで時間をかけて考えたり悩んだりしたのに、このタイミングで始めてしまうのか?」と思ったが最後、絶対にやらなくなる。
・やりたくないと思った時は、やらない方がいい時だ
私はよく「やりたくないって思ったのなら、やらない方が良いのではないか?」と思うことがある。それは完全に自分に対して言い訳をしているのだが、たまに本当にやらなくて良かったなと思えることもある。
例えば、夜ご飯を作らないといけない時間であるのに気が乗らずにダラダラと過ごしている時に、もうUber Eatsで頼んでしまえばいいかなと考えてしまいスマホをいじり始める。すると、友達から連絡が来て急遽ご飯に行くことになったりする。
また、電車を使って買い物にいかないといけない時、外出が面倒くさくなり明日でいいかなと思うと動かなくなる。すると、その夜のニュースで利用する予定だった路線が運転見合わせとなり全然動いていないのを知ったりする。
意外とこういったこ場面に多く遭遇している。
こんな経験を繰り返していると、自分が気乗りしない時は何かが訴えかけてきているのではないかと思うようになってくる。
・やるべきことは早めにやるべきなんだけれど
ただ、そうは言ってもやるべきことは早めにやるべきだとは思っている。ただ『はじめる』ということは非常にエネルギーを使うんだ。
よく、勉強を始められない子どもに対して「まずは5分間でも問題を解いてみてくれ。それで嫌ならやめてもいい」みたいな言葉を聞く。これは本当にその通りだと思う。1回始めてみるとそれ以降も意外と続くものなのだ。
だが、始められない人間は『5分間でもいいから問題を解く』という行為を始めることができないんだ。始められない人間だからね。私は『5分間でもいいから問題を解く』行為をいつ始めるかという考えを始めてしまう。今すぐなのか、10分後なのか、30分後なのか、1時間後なのか。もしかしたら今日ではなくて明日かもしれない。
・『はじめる』を特別に思わない。適当に扱っとけ
始められない人間は『はじめる』という行動を特別なものと捉えているのかもしれない。『やめる』の方が身近に感じるし、なんならマブダチだ。『はじめる』は神様に近いかもしれない。はじめる教の教徒は始められないんだ。
こんな不毛な考え方は無いな。いろいろとチャンスを逃してしまっているようにも感じられる。
『はじめる』を信仰せずに、マブダチのように適当に扱ってもお互いに笑って許せるような間柄になりたい。