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別居離婚11年目の心境の変化と、揺らぐモットー
おはようございます。湯です。
本当にあっという間の11年間で、辰年生まれの息子ですが今年が辰年なので、もうそれ位の期間が経つのだなぁとおぼろげに実感します。
そのときは、その時間が永遠に続くのではないかと思うほどでしたが、過ぎてしまえば、もうずっと昔のことのようにも思えるし、懐かしくもあります。必死だったのと同時に、2度と経験できない、かけがえのない体験であったことは間違いありません。
幸せの形は一つじゃない
私は最近やっと、昔からの友人たちと心の底から楽しく遊べているわけですが、その友人たちの状況は様々で、独身の方、結婚していてお子さんがいる方、いない方、そして私はひとり親。といろいろです。
そういった立場の異なる方と話せることはとても貴重で、腹を割って話してくれる既婚で子どもがいない友人からは、上辺だけではない温かさで、子どもがいることは素晴らしいことだよ、と最大に励ましの言葉をもらい、胸が熱くなる想いがしています。
そして、やっとここにきて、これまでの自分の中にあった理想像のようなもの、結婚する前からのああなりたい、こうなりたいと思っていた呪縛から、解放されてきています。
私自身こだわりが強めなところがあることは自覚していますが、今が楽しいと思える気持ちが、理想像にこだわり続ける気持ちを越えたとでも言えばいいのでしょうか。
また、月日が癒してくれた、月日が現実を悟らせてくれた部分も大きいです。
やらずに後悔するなら、やって後悔せよ?
「やらずに後悔するなら、やって後悔せよ」は、私が若いころから掲げてきたモットーです。この考えのもと、短大から4大への編入を推薦枠ではなく、一般応募で全く別の、無理だと言われた大学へ無事に進学することも出来ました。だから、これはその頃から私の根底にある考え方です。
しかし、どうしたことでしょうか。最近は挑戦することがめっぽう怖いのです。年でしょうか?それとも、守るべき子どもの存在があるから、慎重になっているだけでしょうか。
人生を振り返ってみたときに、やって後悔したことと、やらずに後悔したことは半々くらいなのですが、前者は次につなげることが出来ますが、後者は想いが永遠にそこで閉ざされてしまうので、やはり、やって後悔した方が良いと私的には思うのです。
「当たって砕けろ!」
なるべく次は砕けないようにしたいし、後悔はしたくないけれど、にっちもさっちも行かない現状ならば、挑戦あるのみなのでしょう!
そう言えば孫子の言葉には、「攻撃は最大の防御なり。」というものがあります。
攻め続けること自体に価値がある。
なんだか、全然失敗なんて大丈夫な気がしてきました!
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