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何に取り組むべきか

無謀かも知れないけれども、
滑るかも知れないけれども、
きっと上手く出来ないだろうけれど、
人との関わりでやってみたいことがある。
ずっと苦手だったこと、出来るようになりたいことがある。


人との会話が苦手だ。
自分の気持ちを口にする時いつも戸惑う。
迷って、固まる。

いつも余程追い詰められた時か、必死に自分以外の何かを守る時か、怒った時にしか本音が言えなかったりする。

誰かの意見に反論したり、異を唱えたりすることも苦手。

大したことじゃなくても、ちゃんと言い返したり、訂正した方が絶対に良さそうなことですら、つい黙ってしまうことがある。

それが私の言動や、私を外側から見た性格の歪さになっている。
ずっとずっと歪さを抱えて生きて来た。

わざわざnoteで【元風俗嬢】なんて、名乗らなくてもいいようなことを名乗っているのは、少しでも自分の歪さを矯正したかったから。

私は変な人だよっていう、ちょっと奇妙な名札が欲しいと思った。
そうすることで、何となく楽になれる気がしたから。
でも実際は、そんなことを「売り」に出来る時期はとうに過ぎてる。
元客だった夫に拾って貰って結婚して、その子ももう小学生。
…いや、それで元風俗嬢を名乗ってるって何なん?
詐欺?
マジやばくね?

そろそろ、新しい自分を語れる名札を作らないとだ。
でもきっとそれは、どこかに属することではなくて、自分以外の誰かになることでもなくて。
ちゃんと、自分自身になっていかないとだ。

私はまるで他人から誤解されることを望むかのように生きてきた。
誰だって、そうしていたら、それを好きでやっているようにしか見えない。
素直じゃない人は、好き好んで素直じゃない自分を演じている。
少なくとも他人からはそうとしか見えないものだ。

声に出して他人と本音で話すことが苦手だから、こんな風に文章を打つことは癒し。
だけど、ある意味、それって逃げてるような気もする。

だから、やってみたいことがある。
めちゃくちゃ怖いんだけれども。
人の中に入って行きたい。
人と関わってみたい。
自分を出してみたい。
自然体で振る舞ってみたい。

本音を言うことの恐怖心を克服したい。
人前で震える声、震える身体を、どうにかしたい。
本音を言ったあと、ウダウダ悩んで後悔する自分を辞めたい。

こんな自分だもの。
違うんだよな。

不幸に生きてきた自分を変える為に、
抜け出す手段を今悩んでいる誰かに示す為に、
例えばブログ書いたって、電子書籍書いたとしたって。
そんなの、自分にとっては全然サクセスストーリーじゃないのよ。
それだと私は全く変われないのよ。

例えば過去の辛かった出来事を赤裸々に書いてみたとしても。
調子に乗ってエログロやアングラな分野の文章を背伸びして書いてみたりしても、

書いたその後の居た堪れなさとか、後悔とか、普段の自分とのギャップにウガーっとなったりそういうので気が狂いそうになるだろう。
今の私には、その時自分を保てる自信がない。

文章をしたためること自体は、私にとってそれほどチャレンジじゃない。
ただの日常で、娯楽で、時に飯のタネで。
現実世界でコミュ障な自分をフォローする技術でしかない。
自分にとって、文章を書くことは息をすることのよう。
寝ながらだって書ける。
そんな文章というものを使って、それをライスワークにすることは決して間違っちゃ居ないだろうけれど。
自分を追い詰めることをするのはどこか間違っている。

素の自分と、外に出す自分のギャップを埋めたい。
時に横柄で、傲慢な癖に、
時に神経質で、小心者。
色んな自分が喧嘩している。

だから、私がやるべきことは、
チャレンジするべきことは、
文章じゃないんだ。
文章以外の、自分の声や身体を使った自己表現、他人とのコミュニケーション、なんだと思う。
…嗚呼、怖いなあ。

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