いったい何を信じたら良いのか
いつでもどこでもインターネットに繋がり、
SNSを通じていろんな情報が手に入るようになった昨今。
対立する情報、危機感を煽る情報、ちょっと怪しい情報、目から鱗の情報。。様々な「あたらしい情報」が、手に入るようになった。
手に入るようになった、というよりも、大して望んでもいないのに、手元に届くようになった、と言い換えたほうが良いかもしれない。
だからこそ、自ら情報を取りに行く姿勢が衰えてしまった人が、ちょっと増えてきたような気がする。
SNS全盛となる以前のような、今ほどの情報量が飛び交っていなかった時代には、どちらかというと「必要な情報を取りに行く力」が必要とされていたと思う。
新聞・書籍・TVなどからしか情報が手に入らない時代においは、その要素はもっと強かったと思う。
だけど、今は全く逆になってしまった。
多すぎる情報の中で、自分にとって必要な情報を選別する力が、必要とされるようになってしまった。
つまり「情報を捨てる能力」。
そして結局のところ、最後に信じられるのは「自分の基準」だけ。
誰かが何かを否定している。そこまで否定のメッセージを公表することに、どんなメリットがあるんだろうか?(誰かからお金もらっているのかな?)
誰かが新しい仕組みを絶賛している。でも、そんなに役に立つものなら、こっそり自分で使って抜きん出た方がメリット大きいような?(実はあんまり役に立たないのかな?換金のタイミングなのかな?)
自分自身が持つ過去の経験と、論理的思考力と、文字にできない「嗅覚」みたいなもの。
過多な情報が飛び交う中で、自分にとって必要な(不要な)情報とは何かを、正しく判別できる強さが必要な時代になってしまった。
ある意味で、情報を取りに行く力よりも、高度な技術だと思っている。
なぜなら、「情報を得た」と喜んでいる自分の気持ちを否定するのって、本当の難しいことだから。。
マラソン・トレイルランのブログもやっています。|人気記事→走りを緩めるとペースが上がるという成功体験|フルマラソン後半の強さを決めるもの
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