僕がフルマラソンを走るときは、こんな感じの区分けをして走っています。これを意識するようになってから、2時間49分→44分→43分→42分[New!]と、良い感じで記録が安定するようになりました。 スタート~5km(最重要区間)ここは、当日の調子の把握に専念します。 「このくらいのペースならフルマラソン走り切れるだろう」というペースで時計を見ずに走ります。 5kmの通過までは時計を見ません。見たくても我慢します。5kmの通過タイムを確認したら、予想より遅ければ今日は調子が悪い
#noteのつづけ方 結論:「つづける」の定義を限りなく緩くする。 僕の場合、アカウントを消さず、年に何度か投稿する、という状態でも、 自分、ちゃんと続いてるわ と自己評価するようにしています。 仕事じゃないんだし、あんまり自分に厳しくしたら、疲れちゃうよ。 短くて、ごめんなさい。
時間を浪費することと生産的な活動をすること、この2つは相反するものとして語られることが多いのだけど、今日の僕は正にそんな1日を過ごしてしまいました。 じゃない。 「過ごしそうになった」が正解。 午前中は、土曜午前恒例の、リスタートランニングクラブでスタッフとして汗を流した後、自分練習としてインターバル走を実施。 会員さんたちとランチをして解散、買い物をした後に帰宅。 帰宅は15時ごろだったでしょうか。 15時半から始まった日本選手権クロカンのTV中継を観て、Twi
主にTwitterの話なのですが、どこかの企業の人事担当者が明かす、採用時に困った受験者エピソード!的な話。 新卒・中途に限らず、様々な「ビックリ受験者」が描かれていて、読んでいる方はとても楽しいのですが、やっぱり心配になります。 そんなこと書いちゃって、大丈夫なのか、と。 (社名を明かしてなければ問題ないとは思いますが、本気で調べたら分かっちゃうパターンもありますからね・・) 大体の場合、受験者側の問題について、表面化した部分だけ切り取られて、面白おかしく語られてい
いつでもどこでもインターネットに繋がり、 SNSを通じていろんな情報が手に入るようになった昨今。 対立する情報、危機感を煽る情報、ちょっと怪しい情報、目から鱗の情報。。様々な「あたらしい情報」が、手に入るようになった。 手に入るようになった、というよりも、大して望んでもいないのに、手元に届くようになった、と言い換えたほうが良いかもしれない。 だからこそ、自ら情報を取りに行く姿勢が衰えてしまった人が、ちょっと増えてきたような気がする。 SNS全盛となる以前のような、今
率直に言うと『考える力』が弱ってしまった人が、確実に増えている。 平成の30年少々で、世の中は本当に便利になった。 時刻表を眺めなくても、行き先と時間を入れれば一番効率よく移動できる順路を教えてくれる。 テレビ欄を見ながら録画予約なんかしなくても、キーワードで勝手に予約してくれるし、何より似たようなコンテンツがYoutubeに溢れているから、いつでも見たいものが見られる。 道順なんて考えなくても、カーナビが行き方を教えてくれるし、 電子レンジは温め時間なんて考えなく
■2019/11/12 Ver1.02(目次追加版)■ タイムラインを見ていると、いまの仕事や待遇に不満を持っている方々が本当に多いんだなと感じます。 #手取り15万 というハッシュタグが流行したように、厳しい環境で働き続ける方々が、まだまだ大変な思いをしているし、 また、そんな労働者を上手にビジネスに活用()する企業の多いこと。。 そんな労働者とは正反対に、ホリエモンみたいなスゴい人が『そんな会社やめればいいのに。』みたいな極論もバズってたりして、 実際苦しんでいる人
たとえばマラソン選手なら、スポンサーの衣類やイメージを身に纏い、上位で走りきることが、仕事だとされている。 それに間違いはなくて、プロスポーツ選手は『結果が全て』の世界だから、マラソン選手が途中棄権してしまったら、それは結果が出なかったとして批判の対象になる。 一見、正しいように見えるこのロジックですが、個人的には嫌で仕方ないのです。 まず、スポンサーの目線で言えば、撃沈が早すぎてテレビに映る時間が短いとか、表彰台に居ないとか、ニュースにならないとか、、 スポンサーがお
あ、もうほとんどタイトルで言ってしまったよ。 この三連休、楽しみにしていた練習会、ハセツネCUP、送別会など、全ての予定がキャンセルになりました。 でも、金曜は雨だけで、日曜の昼には去ってくれるので、特に仕事の調整云々をしなくて済みました。 (この先停電とか氾濫とかしないことを祈る・・場所的に大丈夫そうだけど) イベントの消滅より、業務上の無事(まだ分からんけど・・)を祈りホッとするのは、完全に会社に飼われていますね。社畜というやつです。 せっかく会社に飼ってもらえ
コミュニケーションは「相互理解」。それを理解すれば、もっと単純に、シンプルに、ものごとは整理できる。 「私はそんな風に言ったつもりはなかったのに!」 でも、残念ながら、相手には悪い意味で伝わってしまった。 原因は、相手の理解力(読解力)と、あなたの表現力(とその相性)なんだけど、 コミュニケーションは「相互理解」、つまりあなたが相手を理解”させる”ことが、コミュニケーションの結果ですから、 「伝えたいことが伝わらなかった」は、 『あなたには(そういう理解力の相手に
かつて、近所のコンビニエンスストアに買い物に行った際、 よくレジ対応をしてくれる店員さんに、1日2度もレジ対応をしてもらったことがあった。 翌日、また同じコンビニに行くと 『こんにちは。今日もありがとうございます。夕食ですか?』 と聞かれたので、当たり障りのないことを答えておいた。 以後しばらく、そのコンビニには行かなくなった。 もちろん、店員さんは悪くない。 だけど、僕はコンビニという存在に『それ』を求めていない。 “認識されている” そう感じたとき、自然と足
敵対心というものは一つのエネルギー源です。 もちろん、物理的な話ではなく心理的な話として。 仲良くなりたい人がいて、ふとした時に、共通の知り合いの悪口で盛り上がってしまい、仲良くなった。 そんな経験のある方も、多いと思います。 共通の敵がいる、という状況は、人と人との距離を縮めます。 と、同時に、どこかの誰かに、知らぬところで、自分自身が『共通の敵』に仕立てあげられていることも、あります。 厄介なことに、僕を共通の敵に仕立てて仲良くしようとする相手は、僕の仲良しだった
いきなりヒドいタイトルですが、 残念ながら、事実です。 なにか問題が起きると、人はやたらとルールを作りたがる。 ルールを整備し、周知徹底すると、問題は起きなくなる。 問題が起きなくなると、そのルールが作られた背景は、徐々に忘れ去られていく。 しばらくすると、不思議なことに『ルールを守ったのに問題が起きる』という現象が出てくる。 何故かというと、時代は常に動き、形を変えていくから。 ここで適切な『気付き』が生まれなければ、ルールはおかしな方向へ向かう。 最も稚拙な
春。 人事異動に伴って週2で都内への通勤が始まりました。 今までは徒歩五分通勤でしたから、トレーニングの条件は確実に悪くなる。 そこで通勤ランでも始めてみようとしたのですが、初日からいきなり雨。しかも冷たい雨。寒い。 何か、新しいことを始めてみようとすると、だいたい何か壁が立ちはだかる。 走り出そうとすると雨が降るし、引きこもりがコミュニティに飛び込もうと腹痛になるし、勉強をはじめようとするとお母さんが『勉強しなさい!』って言ってきてやる気を削ぐ。 何かを始める、っ
せっかく座れた電車の座席。 隣の人が、なんだかとてもイライラしている様子です。 少し揺れると舌打ち。子供が少し騒ぐと舌打ち。 そちらの舌打ちのほうが、何倍も不快です。 そんなとき、僕は迷わず席を立ち、そのイライラから距離を取ります。 イライラは間違いなく、伝染します。 強い気持ちで受け流すことはもちろん可能ですが、それでも多少の消耗はある。 戦う必要もないし、我慢も必要ない。自分までイライラしてしまう。 電車で立つことの我慢と、イライラの隣で過ごす我慢を比較し
サラリーマンを代表するつもりはないけど、最近気になっていること。 サラリーマンの仕事は『やりたくないこと』で、フリーランスの仕事は『やりたいこと』。 やりたいことを仕事にしよう! なんていう謳い文句で、サラリーマンからの抜け出しを支援する広告が目立つようになってきました(インターネット限定ですが)。 我々サラリーマンからすると、やっぱりサラリーからの脱却は、なかなか勇気がいる。 そして、フリーランスも決して甘い世界ではなく、やりたいことに付随するお金のこと、事務処理