ISHIYA私観「平成ハードコア史」〜#15 菜食主義

 2019年の今年、平成という時代に終止符が打たれた。

 1989年から始まった平成だが、昭和からパンクシーンにどっぷりと浸かった俺は、昭和も終わりを迎える頃にDEATH SIDEというバンドでライブ活動やレコード発売が活発になって行った。

 自身の活動を踏まえた上で考えてみると、平成という時代が人生のメインとなる活動時期だったと感じ、私観ではあるがその歴史を書き留めておこうと思い筆を取った。

 これから連載をしていこうと思っているこのコラムでは、全くと言っていい「極私観」に基づくものであり、俯瞰の要素からはかけ離れているだろう。

 しかし、平成のアンダーグラウンド・ハードコア・パンクシーンを体験し続けてきた俺の記憶に興味のある方であれば、興味深い話があるはずだ。

 今まで世に出ていないこともたくさん出てくるはずだと思うし、こんな世界が世の中にはあるんだと、少しでも興味を持ってもらえれば、俺が人生を賭けてやってきたことも報われる。

 売文を生業としているのでこのコラムに関しては有料とさせてもらうが、興味がある人は是非このコラムを購読してほしい。

 今後このコラムを読んで、様々なバンドに親しみが湧く人間もいるだろう。しかし、自分が体験したことでもないことで、馴れ馴れしくバンドに知ったかぶりをして話しかけても自己責任なので気をつけることを忠告しておく。

 昭和のハードコア・パンクの先輩たちがそうであったように、一旦中に入れば信じられないほどの優しさを見せてくれる日本のハードコア・パンクの人間たちだが、その壁は厚く高い場合があることを認識してほしい。

 そうでなくては、このコラムを続けることができなくなるかもしれない。

「#15  菜食主義」

 平成も中期に入ると海外進出するバンドが増え、それとともに菜食文化が日本のPUNKSの間でもかなり認知されるようになってきた。昭和の頃からCRASSやCONFLICTに代表されるような海外ハードコアに菜食主義のバンドはかなり多くいて、知識としては日本のPUNKSたちも知っていた。

 昭和の時代でもハニーディープウェットというバンドがいたのだが、色々と揉め事などもあったようだ。REALなどと一緒に活動をしていたが、当時の日本ではほとんどいなかった動物愛護を掲げたメッセージ性の強いバンドで、今思うと時代が早すぎたのかもしれない。当時の日本ではそれほど菜食主義というものがハードコアやパンクシーンに受け入れられないものだった。

 俺も昭和の頃には菜食主義が理解できず、ハニーディープウェットと仲の良かったNO LIPのボーカルであるフクダ君と、言い合いというほどではないが話をしたこともあった。当時の何も考えていない俺の言い分としては「いただきます」と「ごちそうさま」を言い生命に感謝をしながら食べるし、残さず食べることで生命に対する感謝がある。というものと、植物なら殺してもいいのか?植物だって生命だ。そんなことを言うならコンクリートなどの無機物を食べるしかない。というものだった。今考えてみると、もう少し生命について考えろよと個人的には思ってしまう自分の考えだ。

 その点某友人はもっと論理的で、CONFLICTが大好きだったその友人だが、肝炎を患い入院治療して治ったときに「動物実験反対と言うが、その実験がなければこの病気の薬は開発されなかった。ということは俺に死ねと言うのか?」と、かなり説得力のあるものだった。

 しかし俺も今となっては、肉は食わないようになるべくヴィーガン食を心がけている。他人に無理強いすることはないが、個人的には肉を食べることはしない。

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30年以上に渡るバンド活動とモヒカンの髪型も今年で35年目。音楽での表現以外に、日本や海外、様々な場所での演奏経験や、10代から社会をドロップアウトした視点の文章を雑誌やWEBで執筆中。興味があれば是非サポートを!