【書評】深沢七郎『楢山節考』

 本作は深沢七郎(1914-87)のデビュー作である。深沢は元々ギタリストであり、戦前から職を転々としつつ、各地でリサイタルを開いたりしていた。戦後になると、「桃原青二」という芸名で日劇ミュージックホールに出演し、そのギターの腕前を披露した。その傍ら、小説も書いており、演奏の合間に楽屋で執筆していたようである。そんななか、日劇ミュージックホールのプロデューサーである丸尾長顕(1901-86)の勧めにより、作品を雑誌『中央公論』の新人賞に応募し、第1回中央公論新人賞を受賞。それが本作である。この時の選考委員は、三島由紀夫、伊藤整、武田泰淳であったが、いずれも激賞し、正宗白鳥といった辛口の評論家からも絶賛され、当時のベストセラーとなった。
 本作は二度も映画化され、一度目は1958年に木下惠介監督によるもの、二度目は1983年に今村昌平監督によるものである。特に二度目は、カンヌ国際映画祭においてパルムドール(最高賞)を受賞した。この時は当初、大島渚監督による『戦場のメリークリスマス』が受賞有力視されており、世界的なロックンローラーのデヴィッド・ボウイが出演し、事前にテレビ等々でも特集が組まれるといったように注目度も高かった。そんな下馬評を覆したのが、エルヴィス・プレスリーやビートルズ、ローリング・ストーンズ、ジミ・ヘンドリックスといったロックンロールを愛好する小説家の土俗的な作品を原作とする今村昌平の映画作品だった。吉本隆明は、いずれの映画作品について強烈な言葉でもって罵倒したけれども。原作者本人である深沢は、二度目の映画化作品について、前衛的であると語ったようだが、筆者も一度今村の映画作品のほうを観たが、原作にあるような特徴、例えば深沢の語り口等々がなく残念でならなかった。
 本稿は映画批評ではない。よって、原作のほうを紹介し批評していく。本作は民間伝承の棄老伝説を題材に書かれた短編小説であるが、信州の山々の間にある村が舞台となる。その村に住むおりんという老婆は六十九歳になる。家にはおりんの他に、四十五歳の一人息子の辰平、その辰平の後妻となる玉やん、その辰平の前妻(栗拾いの際に谷底へ転落死)との間の子供、おりんから見れば孫にあたるが、十六歳のけさ吉を筆頭に三歳になる末の娘まで四人の子供が住んでいる。合計七人となるが、そこにまた人が増える。松やんという娘がおりんの家にやって来て、孫のけさ吉と夫婦になり、子供がやがて産まれることになる。この村では、極度の食料不足もあって、曾孫はねずみっ子と呼ばれ、嘲笑の対象となる。また、松やんは大食漢であり、まともにかまどの火を焚けず、辰平の末の娘の子守もまともにできない始末である。
 この村では、七十歳になると楢山まいりに行くことが決まっている。それは棄老を意味する。その村の年寄り、つまり七十歳を迎えた年寄りは、楢山へ、悪く言うことになるが、棄てられる。息子の辰平は七十歳になったらと説得するが、おりんは曾孫が産まれた後のことを考え、今年中にと頑として譲らない。すぐに辰平は折れ、おりんの要望通りに事を進めた。山へ行く前夜に、山へ行って来た人達に限り招待し、振舞酒を出し、山へ行くのに必要なことを教示される。そして次の夜、家の者が皆、寝静まった頃を見計らい、辰平は背板におりんを乗せて山へと向かう。烏や人間の死骸が多いなかを歩き、岩陰に筵を敷いた所におりんを置き去りにする。途中、山の掟を破り引き返して、雪が降ってきたとおりんに知らせたりしたが、おりんに帰れと促される。山を降りる途中、辰平は銭屋の倅が七十歳の自分の老父を谷底に落とす場面に遭遇する。それにより辰平は、前夜の多くの教示のうちの一つ、「嫌なら七谷の所から帰ってもいいのだぞ」という教示の意味を理解することになる。日が暮れる頃に村に帰り着いた辰平は、末の娘に「おばあはいつ帰って来る?」と聞かれたらどう答えようか困るのだったが、それは杞憂に終わる。次男が末の娘に蟹の歌を唄って遊ばせていたからである。《お姥捨てるか裏山へ/裏じゃ蟹でも這って来る》深沢によれば、この歌の意味は、捨てたはずの老婆が蟹のように這って帰って来てしまったというものである。
 以上がこの短編小説のあらましであるが、筆者の本作に対する印象について述べるとすれば、まず第一に本作全体が平易にリズム良く軽快に書かれている。所々に深沢創作の歌が散りばめられており、達者なギタリストである深沢の特徴がよく現われている。筆者が読んだのは新潮文庫版であるが、ご丁寧にも、「楢山節」や「つんぼゆすりの唄」という深沢創作の歌の楽譜が付されている。
 だが、本作は非常に残酷な物語である。初めのうち、平易で軽快な文体も相俟って、単純な物語だなと思いながら、読み進めていたが、辰平がおりんを山へ運ぶあたりから、物語に突き離されるような感覚に襲われた。それは、単に残酷な光景が呈示されているからではない。先にも述べたように、物語全体が平易にリズム良く軽快に書かれている。言うまでもなく、それは結末に至るまで一貫している。並の小説であるならば、残酷な光景を残酷なままに描いてしまうであろうが、本作はそうではない。つまりは、残酷な光景までもが軽快に描かれているのである。
 おりんを山に置き、山を降りる途中に辰平が見た銭屋の倅が自分の老父を谷底に落とす場面は次のように語られている。

 又やんは昨夜は逃げたのだが今日は雁字搦見みに縛られていた。芋俵のように、生きている者ではないように、ごろっと転がされた。倅はそれを手で押して転げ落そうとしたのである。だが又やんは縄の間から僅に自由になる指で倅の襟を必死に掴んですがりついていた。倅はその指を払いのけようとした。が又やんのもう一方の手の指は倅の肩のところを掴んでしまった。又やんの足の先の方は危く谷に落ちかかっていた。又やんと倅は辰平の方から見ていると無言で戯れているかのように争っていた。そのうちに倅が足をあげて又やんの腹をぽーんと蹴とばすと、又やんの頭は谷に向ってあおむきにひっくり返って毬のように二回転するとすぐ横倒しになってごろごろと急な傾斜を転がり落ちていった。

 「ごろっと転がされた」、「ぽーんと蹴とばす」、「毬のように二回転するとすぐ横倒しになってごろごろと」等々、まるで滑稽に見える描写なのだが、実際には実の息子が老父を谷底に突き落とすという極めて残酷な場面である。またこの山には、夥しい数の烏が飛び交い、同じく夥しい数の人間の死骸が至る所にあるが、「烏」は「カラス」ではなく、「からす」と平仮名で表記されており、それゆえか、極めて不気味な場面であるにもかかわらず、文章の上では、それほど不気味さは感じられない。いかに深沢が烏が鳥のように思えず、「黒猫のような目つきで、動作がのろいので気味が悪いようである」と書こうとも。そして、おりんが辰平に向かって前へ進めと促そうとし、山に置かれてから早く帰るようにこれまた促そうとしても。このようなおりんの動作が、近代的なヒューマニズムに馴れた人々に衝撃を与えるのは、想像に難くない。これだけでも近代的世界に衝撃を与え、そのことによってこの短編小説に最上の文学的価値が与えられるとも言えるが、それならば前近代的な素材を借りた小説すべてが賞賛されてしまう。余談になってしまうが、近代的なヒューマニズムに馴れた人々が、村落共同体の人々を解放したとしても、形式的な自由が与えられるだけだ。その行動を非難するつもりもなければ、止めるつもりもないが。
 本作は並の小説ではないと書いたが、それは前近代的な素材を借りたからでもあるが、それだけではない。それだけならば、前近代的な素材を借りた小説のすべてが優れたものになってしまう。他に考えられるとすれば、先にも言及したように、その文体の軽快さである。本作は残酷な物語であるが、軽快に描かれている。それも先に述べたことである。軽快ならば、文章の上では、それほど不気味さは感じられない。だが、結末まで熟読すると、本作は非常に生々しく感じられ、ゆえに、物語に突き離されるような感覚に襲われる。並の小説であれば、残酷な光景は残酷なままに描かれる他はない。それを読む方は、「こんなものだろう」と思うだけである。それが当たり前だからである。残酷な物語を軽快に描くことは、正常なことではない。非情とさえも言える。そこに一片ほどの倫理性もない。あるのは倫理性をも超えた深沢特有の現実感覚だけであると言えなくもない。ただ、そこに深沢の過剰な意識はあるだろうか。
 日沼倫太郎は、新潮文庫版の解説で、深沢の小説には「あらゆる素材が物として処理されている」と言い、それは「物としてとらえる存在把握、ないしは存在透視力、ないしはメタフィジックにもとづいているからである」とした。日沼の考察にどこまで妥当性があるかわからないが、深沢の小説においてあらゆる素材が物として捉えられているように思えるのは、本作におけるように、残酷な光景をも平易に軽快に表出する深沢の文体によるものと思われる。
 筆者は先日、いとうせいこう氏の『想像ラジオ』の書評を書くにあたって、いとう氏と柄谷行人氏の対談を参照したが、その対談で柄谷氏は、いとう氏の『想像ラジオ』と本作を重ね合わせている(柄谷行人×いとうせいこう「先祖・遊動性・ラジオの話」、『文學界』2014年1月号)。また柄谷氏はそこで、いとう氏と深沢が、自分で作詞作曲する音楽の人である点や本作が『想像ラジオ』と同様に柳田国男的であるという点で、ある意味似ているとし、そして本作が反ヒューマニズムの作品ではなく、「究極的な母の愛」を表わすものであるとした。思潮的な動向でのみ脱近代が進んでいる情況ゆえに、柄谷氏のような本作に対する解釈が出るのも無理はない。深沢のモチーフについて、柄谷氏はだいぶ憶測的に語っているが。柄谷氏がいかに忖度しようが、筆者は本作と『想像ラジオ』とを同列に扱うことはできない。『想像ラジオ』には本作のような文体と物語との奇妙な交錯がなく、それゆえに、本作のような過剰な不気味さとは対極にあるからである。『想像ラジオ』にあるのは、都合の良い物語を都合良く描写する文体のみである。それは非常に意識的であると言わざるをえない。
 今回批評したのは『楢山節考』のみであるが、新潮文庫版には他にも、『月のアペニン山』、『東京のプリンスたち』、『白鳥の死』の三編が収録されている。今後、機会があれば他の作品をも紹介し論じてみたい。『東京のプリンスたち』は、タイトルのほうがあまり気に入らないけども。
(新潮文庫、1964年7月刊)

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