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眠れない夜は、宙を飛ぶ
最近はめっきり減ったけれど。東京での仕事。
出張帰り、北に帰る夜の新幹線。
350ml.のビールが空いたぐらい。
都会が終わって、田園が広がる。
ひたいを窓につけ、流れる景色を見ていると、
ぽつぽつと家の明かり。
人が暮らす光だ。
おそらく、自分とは今後、関わりのない人たちだけれど、ぬくもりを感じる生活のともしび。
みんなで晩ご飯かな。親子でお風呂にでも入っているのかな。
もしかすると悲しみや大変さのなかにいるかも。
でも、あっちから見れば、新幹線の光なんて一瞬の出来事だよな。
アルコールの効果とともに、
すぅっと、
ストレスとか疲れが抜けていくのがわかる好きな時間だ。
こんな時に頭に浮かぶフレーズ。
「思えば遠く来たもんだ」
最初は、故郷を離れた感慨を表現した詩の一節だと思っていたが、
どうやら違うらしい。
距離ではなく、時間のことだという。
宇宙の光年が、時間ではなく、距離のことだと知ったぐらいに、
へぇーとなった。
他人の暮らしにぬくもりを感じるぐらい実は幼いのに、東京なんかに出張に行ってビールを空けるような大人に憧れる自分。
そんなギャップが無意識に、この言葉をイメージさせるのかな。
宇宙といえば、もう一つの勘違いがあった。
それは、太陽も銀河を中心に公転しているということ。
1周に2億5,000万年をかけて。
何が勘違いだったというと、
地球は太陽の周りを回っている。
なので、自分は1年たてば、広い宇宙の中でも全く同じ座標に戻ってくると思っていたのだ。
ちょっとの誤差を調整するのがうるう年で、
2021年3月31日と、それから一年が経過した2022年3月31日は、
宇宙の中でだいたい同じ位置に存在できると思っていた。
でも違っていた。
太陽も何か大きなものの周りを公転していたという。
地球がいつも頼りにしてい太陽自体がビュンビュン動いているため、去年の今日、地球があった座標は、遥か遠くの宇宙ということになる。
コロナ禍で、2年ぐらい宮城から出ていないけれど、宇宙規模で考えれば、秒速何十㌔で壮大な旅をしていたということだ。
思っても思わなくても遠くへ来ているし、もちろん、時間だって止められない。そんなことを考えていると自分の幼さなんてどうでもよくなる「宇宙ヤバい」の効能。
ただし、2億5,000万年とか、秒速何十㌔とか、話の規模が大きくなればなるほど感じるのが、小さく小さく繰り返す「日常」の奇跡。
なぜ家族になったのか、なぜ友達になったのか。
なぜ助け合いたいと思えるのか。
一瞬に過ぎる街のともしびを追っていると、縁(えん)というものの不思議さを感じていた。
このnoteでも様々な縁があり、大変な状況の方々もいることも知る。
今を大切にしながら、頑張っている方々に最大限の敬意を。
そして幸せな日日が過ごせることを、ただただ願います。
そんな年度末の宵の会社でひとり。(仕事しろ)