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わたしたちは「縄文のイメージ」に惹かれている。そのイメージの成立と意味を考えれば、いま縄文が重要なことがわかる。ー『縄文ルネサンス』(古谷嘉章著)

「縄文ブーム」と呼ばれることもある昨今の縄文時代への着目。私もその流れに乗っているわけですが、なぜ現代の日本人の少なくない人たちが縄文の惹かれるのか。それは私もたまに考えたりすることではあります。

この本の著者である古谷嘉章さんは文化人類学者で、その視点からこの現象を眺め、これを「縄文ルネサンス」と名付けます。

この本自体がその意味について書いたわけで、詳しくは本を読んでもらいたいですが、簡単に言えば中世ヨーロッパで起きたルネサンスと同じように、昔の文化に着目することで新しいものを生み出そうという動きがあるということを言いたいようです。

私たちはなぜ縄文に惹かれるのか

この本は7章だてで、様々な視点から「今の縄文」についての考察がされています。最初は各章について書いていこうかとも思ったんですが、全体として言いたいことは一つだという気がしてしまったので、そのあたりを書いていきたいと思います。

まずこの本の根幹にあるのは、この20年ほどの間に作られたと著者が考える「縄文のイメージ」です。

この本が書いているのは縄文時代についてではなく、現代における縄文のイメージについてなのです。具体的にどういうことかというと、例えば112ページにこのような記述があります。

縄文の思考や思想や世界観が実は弥生時代における水稲耕作の導入以降も決して消滅してしまったわけではないという認識が、いわば通奏低音として響いている。そしてその脈々と生きている「縄文」が肯定的に捉えられ、それは現代(日本)社会が患っている病を治す処方箋としてイメージされているのである。*太字引用者

この本はここまでに縄文文化がどう人々に受け入れられてきたか、弥生時代以降が本当の歴史でそれ以前は原始時代という考え方がどう変わってきたかを解説していて、その変化の末にこのような「縄文のイメージ」が形成されたと論じています。

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これが意味するのは、いま自分も含め縄文に惹かれる人が多いのは、縄文のイメージの変化と無関係ではないということ。縄文が見直されてきたからこそみんな縄文に注目するようになったということなのです。

これは当たり前のようにも聞こえますが、私たちは実はなぜ縄文に惹かれているかよくわかっていません。「土偶かわいい」とか「縄文人の生き方がエコ」とか言っていますが、なぜそれを20年前には思わなかったのか、それがこの本で語られているのです。

もう一歩すすめると、社会全体で縄文文化の見直しが進むということは、現代も含めた歴史が見直されようとしていることを意味します。とすると、今起きていることは私たちの今の生活に無関係ではないのです。

縄文は私たちの未来に関わってくるのです。

日本の未来と縄文

一気にすっ飛ばして結末のあたりにこんな文章があります。

なぜいまなのかという問いに対する答えの一つの鍵は、地球社会と日本社会が、大きな転換期に直面しているということである。(p261)
私たちが、現代日本社会に対して感じている問題が、縄文ルネサンスのなかで姿を現してきた「縄文イメージ」のほぼ対極にあたるという点にある。(p262)

これは、縄文文化に「平和」や「エコ」というイメージが付いていることを受けての言葉です。この20年で私たちは縄文を「1万年以上に渡り、大きな争いもなく、自然と共生して生きた時代」と考えるようになりました。このイメージが、現代社会が抱える問題の対極にあり、そこから、これからの社会を考えるヒントになるという考え方が生まれるのです。

これは、わたしたちが「縄文のイメージ」に「未来への可能性」を感じ、それによって縄文に惹きつけられているということではないでしょうか。

私はこの考え方に共感します。『縄文の思想』の感想でも書きましたが、弥生時代以降維持され発展してきた社会構造が限界を迎えた先の社会のヒントが縄文社会にあると感じているからです。

中世ヨーロッパのルネサンスも、その後の大航海時代に影響を与え、産業革命の呼び水になったとも言われます。そういう意味で、現代の縄文の見直しを「縄文ルネサンス」と呼ぶのはなるほどと思ったのです。

ただ、いま縄文に魅せられている多くの人はおそらくそんなことを意識してはいません。でもそれでいいのです。意識せずとも行動がムーブメントとなり、「何故?」と考える人がそれに意味を与えてそれが歴史になっていくのですから。

様々なムーブメントを覗き見る

途中すっ飛ばしたところには、そんな様々なムーブメントについて書かれています。

例えば現代アートとのコラボレーション。今の縄文のイメージには「縄文の美」という物語が内包されているので、現代アートと相性がいいのです。今のところまだ隔たりがありますが、現代アートもまた未来を志向するものなので、少しずつ融合して新しいものが生まれていくのではないでしょうか。

身近なところでは、土偶ブームと土偶のキャラクター化というのもあります。今の縄文のイメージを築き上げるのに土偶が果たした役割は計り知れません。1995年の縄文のビーナスを皮切りに2014年の仮面の女神まで5体が国宝に指定され、愛称をつけられ、縄文のアイコンとなりました。これもここ25年ほどの出来事なのです。

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土偶というキャッチーなものが多くの人を縄文の世界に引き込んだことは間違いありません。それもこの20年ほどで作られた「縄文のイメージ」なのです。

他にも様々な例を紹介しつつ、縄文ルネサンスは「都市から地方への回帰の動き」でもあると書いていて、なるほどローカルの時代ともこうしているのだなと思いました。

確かに縄文に興味を持つことは、遺跡がある地域に興味を持つことであり、地域ごとに異なる文化について考え、それを現代とつなぐことでもあるのかもしれません。

縄文に興味がある人なら必ずどこかに引っかかるところがあると思うので、ぜひ呼んでほしいですが、興味がわかない部分は少し眠くなるかもしれません。なので、そういうところは読み飛ばして自分を省みると面白いのではないでしょうか。


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