京から旅へ。四国花遍路/番外〝穴禅定〟
平成九年、京都に暮らしはじめて、二年目。
これから梅雨という時期に縁があって、 八十八ヶ所の霊場を 巡礼する四国遍路を経験することができた。
発心(徳島)、修行(高知)、菩提(愛媛)、涅槃(香川)の四か所の 道場をバスでお参りするのだが、毎年、約一週間で三十カ寺程 を廻り、三年続けて、合計で八十八箇所を巡礼する。
そして三年目は札納めに、高野山の宿坊泊もプラスされる。
真言宗のお寺の主催なので、内容が濃く充実している。
参加者もご年配の方が多く、夫々の思いがある慰霊の旅である。
バスの移動中はずっと、次にお参りするお寺の御詠歌と、般若心経をみんなで、何度も唱える。
お世話になる宿坊では、朝早くから読経するお勤めもある。
門前の小僧よろしく、終いには般若心経が諳んじれるほどだ。
初めは緊張し、寝る間も、車窓からの景色を見る余裕もない。
全員が背中に“南無大師遍照金剛”と、大きく墨で書かれた揃いの白装束を着て、編み笠をかぶり、金剛杖を持つ。
お参りも縦一列に並び、乱れず、私語もなく、サッサッと歩く。
各お寺では、太子堂と本堂、夫々に御札とお賽銭を納め、皆で大きな声で、般若心経を唱え、御詠歌を歌う。
終わったら即、踵を返し、次の札所へ。
ほとんど見学はなく、サッサッと向かう。撮影の間もない。
恐ろしく真面目な巡礼の旅である。
そんな旅に、私は過去5年続けて行き、四国霊場を1.6周した。
(残念ながら二巡り目の最後は、仕事の都合で行けなかった)
その最初の旅で、私はとても貴重で、思い出の深い経験をした。
四国の巡礼には、一般的に行かれる八十八の札所(寺院)に加え、番外として二十ヵ所の札所がある。
その番外の、別格寺院3番目「慈眼寺」でのことだ。
「慈眼寺」は徳島県の第二十番札所「鶴林寺」の奥の院である。
山岳修行の場として、有名な寺である。
ここは、三日目の宿泊場所だが、山寺にバスが着いた時は、 すでに夕闇もせまり、ショボショボと小雨が降っていた。
弘法大師(空海)も修行したと言われる“穴禅定”を行う場所は、 お寺からさらに、山道と岩の上を十分ほど登った所にある。
薄い白衣と小さな草履を借り、雨で滑るきつい道を用心して登る。
まもなく岩盤上に、古錆びた赤い鉄格子に囲まれた鉄扉が現れる。
岩山を這うように鉄階段が作られ、普段は人が立入らないように 鉄扉に鍵がかかっている。
扉をくぐり、急な鉄階段の手摺に掴まり登ると崖の上にでる。
そこに“穴禅定”へ続く小さな洞窟口がある。
“穴禅定”への入口は、岩がせってできた狭い縦割れの隙間だ。
身体を横に、左手にローソクを持ち、その手を前に伸ばしたまま、 岩肌に身体を擦らせながら、横歩きで少しずつ進まねばならない。
御導師の小さな御婆さんが先頭に立つ。
その人の指示どおりに、 身体を動かさないと、少しも進めない。
教わった人は後ろの人に、伝言ゲームのように教え、また次へ。
「頭を下げ~、左肩から斜めに入って、もう一歩。左足を前に~、 そこで右足を抜く。 そう、そこで身体をひねって~、曲がる」
みたいに、なんとも、頼りない。
だが‥
本当にその通りにしないと、体の大きい男などは岩に挟まって、 前進も後退もできなくなるのである。
事実、去年は、男の人が引っかかり、半日、出れなかったという。
私は比較的、肩幅と胸厚があり、その不吉な話に、顔面蒼白。
小柄な女性は問題が無い。
だが、大きめの男には“地獄”である。
入ってすぐ“これは絶対に無理”と毛が逆立ち、戻ろうと振り向く、 が、既に狭い岩間に後続の列。
退路が絶たれ、前進しかない。
20人近くが顔と顔を近づけ、暗闇を手探りで、前を頼りに進む。
正にに暗中模索。
“今、地震があったら?” 嫌な思いがよぎる。
フゥー、フゥーっと、荒い鼻息でローソクが、何度も消え、暗くなる。
せった岩が、白衣一枚の肌を容赦なく擦り、骨盤を挟みこむ。
奥へと下る地面は雨水が伝い、素足はドロまみれ。
草履がやたらと滑り、足の裏を岩が噛む。
這いつくばらねば抜けぬ難所もある。
汗みどろで必死のパッチ。
嗚呼、夢なら、早く覚めて欲しい‥‥
たっぷり一時間かけ、やっと中央の広くなった空間へたどり着く。
そこには大きな鉄の燭台があり、何百もの蝋燭が灯されている。
岩肌が橙色にユラユラと揺れ、長く伸びた複数の人影が躍る。
なんと、神々しい風景であろうか‥。
思わず、合掌。
全員がたどり着くのを待ち、灯火で煤けた空気にむせながら、 般若心経の大合唱。
仏説 摩訶 般若 波羅~ 蜜多 心経~ カンジザイボサツ ギョウジンハンニャハラミタジ‥
洞窟内がグワンと響き、湿気た生温い空気が大きく、揺れる
ショウケンゴウオンカイクウ ドイッサイクヤク‥
唱える男女の顔が汗と雨に濡れ、蝋燭の揺らめきに赤く輝く。
とても神秘的で荘厳な、仏との一体感さえ感じる、時が流れた。
一息の後、また同じだけ苦労して、隙間を縫い出口へと向かう。
頭をぶつけ、腹をこすり、ひざを痛めて、やっとの思いで下界へ‥
だがこの穴は、両手を外へ伸ばし、頭を先にせぬと出れないのだ。
外で手助けしてくれる御導師の御婆さんに励まされ、岩を掴み、 両腕に力を入れ、グッと身体を浮かせ、スルッと穴から抜け出す。
「アァ、生き返った~」 思わず、大きな吐息とともに声がでる。
すかさず、御婆さんがニッコリして、声をかける。
「オメデトウ、安産だったねぇ~」。
その一言に、ハッとする。
そうだ、この“穴禅定”は、母体(子宮)から産みの苦しみを経て、 誕生する赤子の道にも通じていたんだ。
この世に生を授かった喜び、それを体感する修行なのか‥。
清清しい思いと、生かされている事の喜びを、心から感じた。
「ありがとう、オフクロ。俺を生んでくれて」
感謝の念が堰を切る。
この年の桜の季節に母は他界した。その供養の巡礼でもあった。
そして今日、四月十一日は、母の十五回目の「命日」である。
(2012年4月10日 記)
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