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飛行機の本#17フォッケ=ウルフ迎撃隊(ルードルフ・ブラウンブルグ)

松谷健二さんの訳したこの「フォッケ=ウルフ迎撃隊」は、もっと評価されてもいいと思う。400ページ近い大作、今ではなかなか手に入らず市場に出ても高値である。復刻版が欲しいと思う。フォッケ=ウルフ190は第二次世界大戦の末期に活躍したドイツの高性能戦闘機のこと。

私情を感じさせる言葉はなく、まるで散文詩のように短い文がたんたんと流れていく。ドキュメンタリーのように正確で的確な描写が続く。まるでドイツの機械そのもののようにネジ一本もきっちりと描かれる。読みやすいようでいて、生半可な読みを寄せ付けない。しかし、このような文体だからこそ描かれる戦争の怖さがつたわってくる。目を覆いたくなる惨状を冷徹に描写するにはこのような文体しかなかったとも言える。筆者ブラウンブルグは、パイロットとしてそこにいた。そして、文学を愛す教師志望の青年だった。

自分たちの撃墜したB-17を現場確認に行く場面がある。「血と屍臭。異様にひんまがった肋材。穴だらけのホース。いりみだれた導線、パイプ、天井のパッキング。前部A銃座の機関銃の銃身は下にまがっていた。やっとおとなしく降伏したみたいに。操縦席の方向舵ペダルはなんともなかった。からまってもいない。左のペダルにくっついたフェルトのブーツ。ブーツの中には足の一部があった。そこから骨がつきだしている。まだひらかない花の茎みたいだ。」非情な描写が続く。

しばしば出てくる地面にのめり込んだ墜落機の描写。戦場が統計的な数字や戦略的な駒の配置ではなく現実であることを読者に刻む。砕けた照準器と曲がった操縦桿。地面に散乱する薬莢、タイヤのゴム、防弾ガラスの破片。そして飛行機雲だらけの空を背景に黒ぐろとした機胴の後ろ半分。屍臭や汚物の匂い。内臓や骨や肉片。プラークはつぶやく「もしおれが大地だったら、うんとやわらかくなってやろう。そしてそういうものをそっとうけいれたやろう。」

主人公のプラークは、決して非情ではない。むしろナイーブだ。だから感情を押し殺し殺戮の場で日々をすごしている。パイロットの仲間たちも同様だ。空の戦いの場で殺しあっていながらも、撃墜した後に無線でとびかうのがパラシュートで逃げられたかの確認の声。敵味方関係なくである。目の前に現れた新人の操縦するムスタング、射撃ボタンをおせばどうなるかを想像してしまう。そのまま見過ごし、敵機と遭遇しませんでしたと報告してしまう。一度も撃墜していないため、反逆罪に問われるのではと恋人に心配されてしまう。唯一、射撃した相手はパラシュート脱出したパイロットを撃ち殺している仲間の翼に向けてのみ。大いなる矛盾。

あたりの畑を歩いていると、墜落した戦死者を見つけることがある。という書き出しから始まるエピソード。戦死者の状態を克明に書く。屍臭、とれた耳、眼球が鳥に食われた死体、回虫のように頰肉からたれ下がった神経繊維。プラークはB −17の尾部に食いつき、射撃ボタンに手をかけたときのことを思い出す。。敵尾部銃手の顔に眼鏡があるのを見て、指が動かなくなる。眼鏡が壊れたら、あいつの目がだいなしだ…。プラークは毛布の下にノートを持ち込んで、日々起こったことを記録する。おそらく作者のブラウンブルグ自身がそのように記録したのだろう。

戦闘の準備のためにフォッケ=ウルフ190の弾帯に銃弾をはめていく散文詩のような記述。焼夷弾2発、炸裂弾1発、徹甲弾1発の順番ではめていく。順番に決まりがあるわけではないが、整備員はこだわりをもってはめていく。「専門家、殺しのプロには、焼夷弾、炸裂弾各2発ずつにこだわるのがいる。もしくは炸裂弾、徹甲弾2発ずつに。「こいつがキャンデーだったら、他人にはゆずらないがな。アーモンドひとつ、ヌガー二つにコニャックボンボンひとつ・・・。ヒバリが一羽、待避所の上をしめった空に昇っていく。焼夷弾2発、炸裂弾1発、徹甲弾1発、そのあとに曳光弾を1発はさんでおく。焼夷弾は燃料タンクを狙ったもの。炸裂弾、徹甲弾は装甲を破るため。しかし、弾は定まった軌道からはずれることはない。MG(マシンガン)の銃口と目標のあいだにたまたま人間がいれば、燃料タンクを狙った黄燐はその人間の内臓を害虫の巣のように燃やしてしまう。炸裂弾にしても人間の肩甲骨や脳をくだくのに遠慮はしない。焼夷弾2発、炸裂弾1発、徹甲弾1発。やけただれた胸郭が2つ。くだけた大腿に割れた頭蓋骨。グロエコ村の鐘がきょうは日曜日だとしらせている・・・。

現実の世界は、散文詩にはならない。繰り返し描かれるコクピットの中はいつも汚物まみれ、糞尿と吐瀉物。時には身体中から出た血と脳みそと腸をも目撃する。目をそらすな、それが戦場だというようにブラウンブルグは仔細に描写する。おそらく、自分自身もそのように目をそらさず見たままをノートに記録したのだろう。

プラークは不時着した最前線の飛行場で空軍補助員のマリラと出会う。ロシア軍がせまっていて、基地を捨て逃げ出そうとしているあわただしい時なのに、出会ってすぐの2人なのに砲声、炸裂音、爆発音のなかで12分間のデートをする。前から知り合いだったかのような会話をして別れる。2人の出会いの場もたんたんとしている。

サン・テグジュペリの話も挟み込まれている。上司との会話。かつてサン・テグジュペリといっしょにフランスの飛行機会社で勤めていたのだ。上司はサン・テグジュペリを知らなかったプラークに、パイロットで詩人という話をして、このことを書いてみるように勧める。また、同僚の一人がコルシカの近くでライトニングP-38を撃墜した話をする。同時間にサン・テグジュペリがP-38で行方不明になったろいうフランス側の通信を聞いたことも。

そのほかにもヒットラーが、Me262ジェットのような優れた戦闘機があるにもかかわらずイギリスへの爆撃にこだわって戦略面での失敗をおかす場面や、ヒットラーに迎合するゲーリングが突然視察に来て、やはり爆撃にこだわって増槽を爆弾と見間違って褒めて帰る場面などの描写がある。また、世界的に有名なパイロットのガーラントをドイツのパイロットはみな嫌っている嫌なヤツと記述するなど、当時のパイロットだったからこそ書けるような内容が随所に見られる。

筆者は筆者のあとがきにヒロシマとナガサキのことをとりあげ、無意味な爆撃への強い憤りを書いている。この本の強いメッセージ性がこのことでもわかる。

なかなか手強い本だった。ストーリが流れているわけではなく戦闘日記のように進んでいく。戦争の悲惨さ、矛盾、憤り、恐怖が戦闘機パイロットの日常の中に散文詩のように語られていく。


出てくる飛行機

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フォッケ・ウルフFw-190
メッサーシュミットBf-109と並ぶ第二次世界大戦時のドイツの代表的な戦闘機。Bf-109は高性能をねらったサラブレッドであるのに対し、頑健で扱いやすく、誰もが使えて、大量生産にむいたFw190は馬車馬あるいは農耕馬のような設計コンセプトだった。被弾しても動き続ける空冷エンジンや乱暴な着地でも壊れない頑丈さで、戦闘爆撃機としても活躍した。設計したクルト・タンクのセンスが良かったため、性能面でもBf-109を超え、さまざま亜種を生み出した。大戦末期には、水冷エンジンに換装し、レシプロエンジンの飛行機(Ta-152)として最高峰の性能を示すことになった。20,000機以上が生産されたという。

ボーイングB-17については飛行機の本#12リアル・グッド・ウォー(サム・ハルパート)を参照してほしい。
https://note.com/ishimasa/n/n2b97fc2029ba




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