情報社会を生き抜くための本7「現代の経営」(P・F・ドラッカー)
ドラッカーはたくさんの本を書いたがその中でも名著と言われるのがこの「現代の経営」上下巻だ。
昭和40年発行で私のもっているのは昭和52年版。実は、この上下巻はブルボン北日本食品の新人研修のとき社長より配布された。研修期間(2週間くらいだったと思う)の終わりまでに本を読んでレポートを提出しなければならなかったのだ。そして、このレポートをもとに配属先が決められた(らしい)。
必死になって読んだのだと思う。書き込みがあちこちにある。当時はポストイットなんてなかった。
印象が深かったのは、オートメーションについての記述。チャップリンの映画のようにベルトコンベアに配置されて仕事をしているとだんだんと作業効率が悪くなる。それよりも少人数のチームで最後の工程まで仕上げるような作業にすると最初はミスも多いが、次第に熟達し練度があがる。また、他チームとの自然な競争が生まれ作業効率が上がって行く。という話だ。いわゆるセル生産方式のことだ。
話はとぶが、アメリカでは戦時中に女性労働者によってたくさんの軍用機が生産された。男性は志願して戦場に行ったので女性しかいなかったのだ。それでも、多くの現場がこの生産方式で世界最多の飛行機を生産した。だれでも作りやすいようなシンプルなデザインにするという配慮もあった。それに引き換え、日本では熟練技術者でしか生産できないような設計で飛行機の性能を上げていたため生産性がなかった。しかも、その熟練技術者をも徴兵し戦場へ送った。ドイツでも似たような状況が生まれた。飛行機そのものの設計やデザインは世界一であるが、生産性よりもその性能追求に走ってしまうのがドイツらしいところ。だから改良型、改良型が次々と生まれそれでも満足できずに技術向上が生産性より優ってしまう。戦争初期にはアメリカは、どの国よりも戦争準備ができていなくて飛行機もへなちょこの上、数が足りなかった。しかし、戦争初期から中期の頃にかけていきなり世界トップの飛行機生産数になった。不格好だけれど大きなエンジン、大きな機体、作り安さや修理しやすさが優先した。グラマンの戦闘機なんか『グラマン鉄工所』と揶揄されさえしたが、マネジメントの考えがそこにあった。
ドラッカーは「顧客の創造」という考えを打ち出した。今では当たり前だが、その考え方が20世紀後半から現在まで多くの企業で取り入れてきた。ドラッカーに影響された経営者は世界中にいるが、とりわけ日本では信奉者が多い。トヨタやキャノンなどドラッカーの経営論を取り入れている企業も多い。ユニクロの柳井会長なんかドラッカー本まで出している。
さて、レポートの成績が良かったためか悪かったためか同期では一番最前線の大阪営業所東出張所勤務となった。全国の菓子問屋やスーパー本部が集まっているため、売上目標も同期と桁が2つも違っていて、早朝から深夜までの激務だった。相手先の問屋の社長に営業のイロハを仕込まれ、ドラッカーのこの本をたよりに仕事を現場で実践した。あいさつすら返してもらえない問屋の敷居の高さ。おこられながら、得意先の倉庫の整理を勝手にさせてもらい、そのうちに口を聞いてもらえるようになった。提案も受け入れてもらえるようになった。実感したのは目先の営業利益よりも顧客の創造という考えである。これは大阪の商人の考え方ともマッチしていた。新興のブルボンは営業所を日本橋に出すことがおこがましいと思われていたが、かわいがられていた問屋の社長さんたちの同意を取り付け松屋町近くのビルに営業所を出すことができるようになった。その営業所開所の日に辞表を出してブルボンをやめた。仕事は面白かったが、いろいろな思いがあった。私はブルボンに1年しかいなかったが、この1年は貴重だった。自分の人生を切り拓くために飛び出す自信と力を与えてくれた。現場で学んだマーケティングリサーチの手法とドラッカーの本をもって教育の世界に飛び込んだ。教育のことはちっともわからなかったが。
思い出話はともかく。「現代の経営」は古い本ではあるが、マーケティング手法を経営に生かすという点では決して古くない。その主張は2つに絞られる。「顧客の創造」と「イノベーション」である。原点ではないかと思う。