情報社会を生き抜くための本47「時間とテクノロジー」(佐々木俊尚)
クラウドの登場により4つの変化があった。
過去が色あせなくなった
しかし、過去はつね改変される可能性がある
そして私たちは、そんな過去に郷愁を感じなくなっていく
それどころか、過去は押し付けがましくなり、忘れることさできなくなっている
筆者の主張であり、この主張に基づいて論を説いていく。
SNSが世界に登場してきたのは2000年代なかばで、歴史は浅く、私たちの過去はせいぜい十年分ぐらいしか保管されていません。しかし未来はどうなるでしょうか。SNSのプラットフォームが消滅しない限り、いつまでも残り続けるのです。今、中学生の子どもたちの恥ずかしい「中二病」の妄想をどこかのSNSに書きつづり、書いたことさえ忘れ去り、でもプラットフォームはそのまま存続し、長じて四十歳になったころにふと見つけ出す。そういうことが起きてくるでしょう。電子メールやアーカイブでも同じことは起きています。
私自身、そのような経験をもつ。30年近く前、インターネットの初期の頃からたくさんのホームページを作成してきた。その大部分は、サーバーの消滅とともに消え去ったものと思っていた。しかし、ふとしたときに自分自身の作った浮遊する情報にネットの中で出くわすことがある。本人がまったく忘れているのにである。
過去という概念がネットの中ではなくなってしまう。また、自分自身に紐付けされた情報がかってに浮遊し、さまざまな情報と結びついてかってに動いている。
過去は「デジタルコラージュの寄せ集め」となる。「かつて過去はとても貴重で大切なものでした。私たちは過去を記録するために文明を興し、記録のテクノロジーを進歩させてきました。しかしその過去は今、変容しようとしています。」過去は色あせなくなり、いつまでも鮮明なまま保存され続けるということだ。
かつては自分が好きだった音楽をレコードやCDでコレクションしていた。モノとして存在し、たとえ聴かなくてもコレクションは自分のモノとして目に見える存在であった。しかし、今は好きな音楽は情報として私に紐付けされている。ときには私の友達にも紐付けされる。その情報はネットの中の他の情報と結びついて、レコメンデーションとして私に新たな情報として現れる。あなたの好きな音楽はこれでしょ・・・確かに、間違いない。私の好みだ。情報として音楽が自分に紐付けされている。そのうち、あなたのお友達はこんな音楽を好んでますよと教えてくる。なるほど、いい好みだ。・・・もうコレクションというモノはない。情報のみだ。
私は実体としてのモノをコレクションしたいが、DXの時代ではそれはゼイタクになる。