強く儚い桜が照らす「正しさ」の輪郭【映画『朽ちないサクラ』レビュー】
迫力ある演出と臨場感あふれる音楽に包まれて飛び込んでくるスクリーン全面に広がる満開の桜の映像美。
美しく、強く、儚く…。
再生と終わり両極のイメージを持ち、それでいて繊細な桜は、人の命になぞらえて見られることも多い。
夜は妖艶にも見え、言い表せないような怖さも携えている不思議な魅力がある花だと思う。
桜の印象は実に多面的で人間のようでもある。
その桜をタイトルに掲げて警鐘を鳴らしてくれたのが『朽ちないサクラ』だ。
舞台挨拶でも安田顕さんが触れていらしたが、
『朽ちないサクラ』というタイトルはいろいろな意味を彷彿とさせる。
それは何度散ってもまた春に咲き誇る朽ちない桜を思わせ、桜のように穢れなく美しき心を朽ちないものとして感じさせるかもしれない。
主軸としては、桜もいつかは朽ちていくもので、人もいつかは朽ちていく命であるのに、「サクラ(公安)」の正義を遂行する信仰は朽ちることなく継承されているという意味を強く滲ませていると感じた。
人の業の罪深さと虚無感を強烈に湧き上がらせてくる。
この作品はサスペンスミステリーであるのに、
殺人事件の真相を明らかにしていく中で警察官の「正義」を問いつつ、観客に多くのことを考えさせられる奥行きを持っている。
非日常のテーマのようでいて、観ているうちに日常とリンクさせられていく。
「正しさ」とはなんだろう?
さも真っ当で、正論で、倫理的で、道徳的な枠に入っていることであっても、それは本当に正しいとしていいのか?
「正しさ」の定義は誰が決めるのか?
人は生きてきた道や見てきた景色によってそれぞれ感性が違う。
人の数だけ別の見方があるとも言える。
果てしなく曖昧であまりにも形が見えない。
だからこそ自分の「正しさ」が、相手から見たら違うこともある。
「正しさ」という概念だけに囚われて押し通せば、それがナイフになることもあるということだ。
そうした小さな「正しさ」の押しつけは日常にも往々にしてあって、それが拗れて大きくなっていくことが人の命に関わるような事件になり、最終的には戦争という脅威にまで繋がっていくのかと思うと、美しい桜のシーンで云い知れぬ怖さを覚える。
それでも人間が生きていく上で「正しさ」は土台になければ秩序がまとまらない。
所詮人が決められるのは「ある程度の正しさ」でしかなく、強い者だけが押し通すということなのかと胸を噛みむしり、切なくなるシーンが多かった。
どうか弱きものが真実守られる「正しさ」で世界がめぐってほしいと思わずにはいられない。
人としての「正しさ」の輪郭は、
どんなに明るく照らそうとも、
鮮明にはならないのかもしれない。
それでも、誰かが犠牲になり誰かが悲しむ未来を根絶することを諦めない"100年朽ちない桜"のような泉の"朽ちない想い"が、未来の希望なのだと思う。
この先、泉がどんな道を切り開くのか見届けたくなるラストだった。
END
🌸後記🌸
ムビチケを事前購入して楽しみにしていたので、公開日初日に行ってきました。
理不尽な正義を押し通されるストーリーの中で、
萩原利久くん演じる磯川の真っさらな正しさの美しさに安堵し、心癒されました。
利久くんが目指した綿密な演技プランを、しっかりと映像から感じ取ることができました。
そして圧倒的だったのは、安田顕さんの演技力。
穏やかな役どころに見えたのに、向こう側に潜んだ切れ味鋭い凶器に心震えました。
この映画から気付かされたことは、自分自身の日常においても、「正しさ」に酔わないように気をつけなければいけないということ。
俯瞰を忘れてはいけないなと。
その考えや行動は「正しさ」という拳になっていないか?押しつけになっていないか?
その疑問を自分に問うことを疎かにしてはいけないと胸に刻みました。
自分が見える世界だけが全てではないから。
また私自身、ストーカー対策で生活安全課にお世話になったことがあり、他人事には思えず怖いシーンもありました。(おかげさまで現在は解決済み)
弱きものが犠牲にならないような世界にもっともっと近づいて欲しいと願っています。
ここまでお読みいただきありがとうございました!🤲🏻✨
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