仏さまの後ろ姿
家に、夫とタイ旅行をしたときに手に入れた小さな観音さまの像がある。今、その後ろ姿がふと目に入り、「何年も経つのに、こんなにお背中をまじまじと眺めたのって初めてだな」と気づいた。そうしたら自然と、お経に出てくる
慈眼視衆生(じげんじしゅじょう)
というフレーズが思い出された。
お寺では多くの場合、仏像は仏さまのお顔とお参りした人の顔が向き合うように安置されている。そのため「後ろはどうなっているのだろう?」という思いも湧いてくる。美術館などで背面を拝するチャンスがあると、まじまじと後ろから眺めていた。
でもそれは、仏像の構造がどうなっているのかという好奇心でしかなかった。今回はそのときの気持ちとは違って、自分がほのかにおすがりしている仏さまの背中、として初めてそのお姿を見つめたのだった。
そうしたら、いつもお寺に行ったり自分でお経を唱えたりするときと違って、仏さまがみんなを見守っているその目線を少し体験できたような気がした。
それは、自分が仏になった仮想体験という意味ではない。自分を見守ってくれる方がいるという安心感を、いつもと違った形で再認識できたのである。
全員が正面を向いている家族写真や、自分だけが写っている幼少期の写真を見ても、そこから即座に父や母の思いまで感じることは難しい。でも、写真に写る親が自分をいとおしそうに眺めている一枚からは、親の思いが伝わってくる。それと重なるような形で、仏さまが私たちを見守っている、ということがじんわりと沁み入ってくるように感じられたのだ。