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歴女スナック

以前、歴女の女の子がいるガールズバーがあれば通っちゃうなあ。などという話をしたのだけれど、

そんな女の子のいるバーはどうやら無いらしいことが薄々わかった。

それならば、ということで妥協した折衷案(?)として、年齢層をぐっと上げた(元)歴女のいるスナックなんかはどうだろうか、という話になる。

芹沢鴨を粛正した8ヶ月ほど後、元治元年5月下旬。
京に多数の尊攘派志士が潜入しているという情報を得た新撰組が、薪炭商桝屋喜右衛門(古高俊太郎 )を逮捕連行して拷問してみると、なんと御所に火を放ち、京都を火の海にして混乱に乗じ一橋慶喜、松平容保らを暗殺し、孝明天皇を長州へ連れ去るというテロ計画が発覚する。

6月5日。
襲撃計画を協議する会合があるらしいという情報を得て、約束したはずの京都守護職の応援がいつになっても来ないのでしびれを切らした近藤勇が、新撰組だけでの探索を決断。

集合した八坂神社前で隊士32名を二手にわけ、自分と沖田と永倉、藤堂ら10名を鴨川の西側に、残りの22名の土方組は東側、四条縄手通に向かわせそれぞれ探索する。

近藤たちの組が、三条小橋の池田屋で長州藩、土佐藩の尊皇攘夷派志士が会合を開いているということを突き止めたのが午後10時頃。

「主人はおるか、御用改めであるぞ」
裏口に3名、表に3名待機させ、沖田と永倉、藤堂の、試衛館で苦楽を共にした盟友たった4名で、約20名はいるであろう浪士の中に斬り込んでいくわけです。あの名刀虎徹を手に。

さらに近藤は沖田を引きつれ二階に駆け上がると、
「御用改めである。手向かいいたすと容赦なく斬り捨てる」
と大声で怒鳴るわけです。まさに気組です。気組。

しかしながら多勢に無勢、しかも沖田が結核で血を吐いて早々に戦線離脱、藤堂も額を割られて戦闘不能になり、さすがにヤバくなったちょうどその頃に、四国屋を捜索していた土方組が到着。
一気に形勢が逆転します。

この結果、9名を討ち取り20名余りの過激派浪士を捕縛。
吉田稔麿、北添佶摩、宮部鼎蔵、大高又次郎、石川潤次郎、杉山松助・松田重助らがもし生きのびていればおそらく日本の歴史は大きく変わっていたでありましょうなぁ、良い悪いは別としても。

ちなみに桂小五郎(木戸孝允)は、この会合への到着が早すぎて一旦池田屋を出て対馬藩邸にいたので難を逃れたそうですね。
これまた歴史の皮肉というか、運命の悪戯というべきか。

見方と、立場によっては、攘夷派の志士を狂信的なテロリストと見なすこともできるし、新撰組を思想無き幕府の犬、冷酷なゲシュタポと見ることも出来るわけで、これはなかなか難しくも興味深いところなんですよね。

できるだけ、幕末の動乱期を俯瞰して客観的に眺めてみたいと思う気持ちがあるのですが、やはり思い入れが強くて。

そのへん、
どう思う?
などと、極限まで薄い水割りを性懲りなく作り続けるチーママに、聞いてみたり。

そんなお店に行きたいのだ。

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