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大甚本店
愛知に引っ越して来たばかりで、まだ名古屋の飲み屋街に不慣れなまま、この人気店を目指して向かったときのこと。
さまよい歩いた挙げ句、痛恨の勘違いをして「大甚中店」という少し離れたとこにある系列店なのか支店なのか実は無関係なのかは知らないが、全く違う雰囲気のお店に入ってしまって、まあしかし入ってしまった以上は、なんだか聞いてたのと違うなぁと思いつつも、自分の他に誰も客のいない薄暗い店内で寂しく呑んだ思い出が。
そのややほろ苦い思い出のリターンマッチということで、満を持して時を待たず再訪問してからというもの、愛知で過ごした一年で、何度も何度も、口開けの夕方を目掛けて広小路の行列に並んだ。
鏡下
花の下
酒やらタレやら味噌やらもしかしたら涙やら、きっといろんな何やかんやが長い年月をかけてじわりじわりと吸い込まれたのであろう、色よくすり減った檜の一枚板のテーブルに、賀茂鶴の熱燗のお銚子が届く。これをキュッとやりながら、小皿に盛られた料理をお店の中央から各自テーブルに持ってくるシステム。
時計下
壁にかかった年代物の柱時計を、そして見るともなしに愛知ローカルのテレビ番組を眺めつつ熱燗の賀茂鶴をちびちびと舐めていると、相席の向かいに座った二人組のサラリーマンとおぼしきオジサンたちが話している会話から「富山」という言葉を聞きつけ思わず耳を澄ます。
それだけならまだしも「大宮のいづみやで・・・」とか話し出されたので、これはもうたまらずつい話しかけてしまう。
お話を聞くとお二人とも富山出身の方で、全国を飛び回るビジネスマン、今日は明日の商談のために前泊してここ大甚本店に飲みに来たのだという。
階段下
富山の話、大宮の飲み屋の話で大いに盛り上がった。
射水のパキスタン料理店、カシミールをもご存知だったのには驚いた。
アレはね、ほんとマジで異国そのものだったんですよ、当時、私が足繁く通ってた十数年前は。
まだロシアとパキスタンの間で中古車貿易が盛んな頃で、日本人なんか一人も来ないようなエリアの、日本語メニューはおろかスタッフの誰ひとりとしてまともに日本語が話せないようなお店だったのですが、それからブログやそれこそ黎明期のSNSによって富山のみならず全国から物好きが集まってくるような人気店になったんだよなぁ。
懐かしいよなぁ。
テレビ下
転勤族や出張中のサラリーマンが集う人気店だけに、こういう思いがけない出会いがあるから飲み歩きは楽しい。
お会計を頼むと、シャネルの眼鏡のご主人が冗談のような巨大な算盤を持ってきて、卓の上のお皿の数で勘定してくれる。
つまり会計までお皿は下げられないシステムなので、長っ尻だったり大人数で呑んでると卓の上は大変なカオスになってしまうのである。
「これはね、東洋の計算機だよ」
店を出ると伏見の交差点はまだ明るい。
まだまだ呑めそうだ。
名古屋は楽しいなぁ。