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”小さなアウシュビッツ”の中で、みんな生きている

最近複数人で同じ本を読んで、感じたことを共有する「Book Cafe」なるものをやっています。

今日は、ヴィクトール・E・フランクルさんが書いた「夜と霧」について話しました。この人はウィーンの心理学者で、第二次世界大戦中ナチスにより強制収容所に送り込まれ、そこでの壮絶な体験をこの本にまとめています。

実はまだ半分にも満たない40ページくらいしか読んでいません。それだけでも人間の本質についてたくさん考えさせられました。


ここでは、今日の議論の中でも特に面白いと感じた「小さなアウシュビッツ」について書きます。

まずこの話の大前提として、アウシュビッツ=感情や個性が消える場と捉えています。

というのも本の中で、「強制収容所に来て、みんな初めは過剰な反応を示すけど、段々と感情が消えていく(防衛本能で感情を消すようになる)」と書かれていたことについて話していた時にこの話題になったからです。


本題に戻ります。

メンバーの中の1人が、「自分は、アウシュビッツとは真逆の場を作りたいんだよね。自分の個性や感情をさらけ出せる場所を。」と言いました。

これを聞いて、アウシュビッツと、その真逆である自分の個性や感情をさらけ出せる場(LDS(=ライフデザインスクール)やカウンセラーなど)の大きな違いは、(身体的・心理的)安全性の有無だと思いました。

※イメージ図。色はティール組織の色をイメージ

アウシュビッツのように、命の保証もままならないような環境では人間は完全に感情を失います。

現在の日本でそのような身体的安全性が脅かされることは滅多にありません(コロナで少し死を近く感じるようにはなりましたが)。多くの人は、心理的安全性が脅かされた状態にいる時、防衛本能で自分の感情を押し殺すようになります。例えば、子供の頃は家族に愛されてわがままに育った子でも、学校という”社会”に出て、ハブられるのが怖くて、ある程度自分の感情を押し殺すようになります。さらに大人になり会社に入ってどんどん自分の感情を押し殺すようになる人は多いのではないでしょうか?

程度の大小はあるものの、皆”小さなアウシュビッツ”の中で、安全性を脅かされながら生きてるのかな〜と思いました。人間の本質的な願いは、「生きたい!」だから、極端にいうと、たとえ”小さなアウシュビッツ”でも十分命が脅かされている状態なのだと思います。

こういう風に図にしてみると、改めて自分の感情を解放できない状態って苦しいんだろうなって思う。だって命が脅かされてるからこその防衛本能が働いてるんだから。

だからこそ、メンバーの1人が言っていた”アウシュビッツとは真逆な場”をどんどん世の中に作っていってほしいな〜と思ったし、自分もそういう場に身を置きたい。

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