子連れ狼 VS エヴァンゲリオン
「我らゼーレの目論見上第三新江戸都市NERV藩は邪魔なれば……藩主碇ゲンドウを斬っていただきたい…………」
漆黒の空間に浮かび上がる石櫃。その中心に座すのは元公儀介錯人・拝一刀。またの名を子連れ狼。そしてその長子・大五郎。父子ともども冥府魔道に生き六道四生順逆の境に立ち、刺客道を歩むもののふである。
拝一刀は石櫃を睨むと、ただ一言そう言い放った。
「刺客引受五百両!」
碇ゲンドウは筆を置くと、疲れ目をほぐすように眉間をもんだ。
気休めに過ぎないこの行為。いくぶんか気分が楽になるものの、やはり染み切った疲労というものは拭い去りがたいものだった。
「だが……」
野望成就の日は近い。妻を亡くしてからというもの、ゲンドウの人生は全て人類補完計画のためにあったと言っても過言ではない。この裏柳生死海文書における予言の文言が、妻を救い出す唯一の手立てであると示していた。
だがゲンドウにはひとつ気がかりなことがあった。息子・シンジの存在である。妻が死んでからというもの、遠ざけていたひとり息子が、なんの因果か今はエヴァンゲリオンのパイロットとしてこのNERV藩に所属している。侍などというものから遠ざけていたはずの、まだ子供に過ぎない息子が……
その息子から、どういうわけか食事の誘いがあった。恐らくレイの手立てであろうが……ゲンドウは正直、どのように接すればよいのか困り果てていた。威厳のある父として接すればよいのか。それともNERV藩の藩主として接すればよいのか。どちらにせよ、約束の時間は近い。その時にならなければ、なにもわからない。
ゲンドウは小さく息を吐くと、再びサングラスを目にかけた。
その時であった。
廊下の奥のほうから、ごとりと何か重たいものが落ちる音が聞こえた。
「ン……シンジか」
ゲンドウは襖のほうへ声をかける。返事はない。ゲンドウは眉を顰める。食事の時間は……時計を見るも、やはりまだ少し早い。いや、早く来る分には構わぬのだが……。
「シンジ。私はまだ仕事がある。先に行っててくれないか。後から必ず……」
その時である。襖を一振りの白刃が貫いた! 白刃は緩慢な動きでじりじりと襖を切り裂いていく。その隙間から血がぼたぼたと、滴り落ちる。
「な……な……!」
曲者じゃ! そう叫ぼうとしたものの恐怖で喉が締まって声が出ない。ゲンドウのいるこの指令室はNERV藩でも最奥に位置する部屋。そこに騒ぎを起こさずたどり着ける間者など皆無! しかし現にこうして、指令室の襖に不気味に光る白刃が警護の血を吸っていた。
やがて白刃が襖の奥へと消え、ドサッと人ひとりが倒れる音がすると、スゥーッと襖が静かに開かれる。
「アッ……アアッ……」
ゲンドウは恐怖に目を見開く。襖の奥は、暗闇で覆われていた。そこには、死の気配だけがあった。
「刺客……」
闇の奥から、ひとりの男が現れる。鬼哭の相を皺に滲ませ、冥府魔道をその身に纏う者……
「子連れ狼見参」
死を目前にしてゲンドウが思いを馳せたのは、愛する亡き妻ではなく、長く遠ざけてきた息子シンジのことだった。
それから時が経ち、拝一刀は第三新江戸都市から遠く離れた地で、乳母車を押していた。大五郎は乳母車から身を乗り出し、流れる景色を眺めている。右手には畑が広がり、左手には清流が流れている。畑で作業する百姓の活気は大五郎の心を躍らせ、清流の煌めきは穏やかにさせた。
ふと、父の乳母車を押す手が止まる。
大五郎は顔をあげ、前方を見る。
編み笠を深く被った剣客が三人、前を塞いでいた。
「元公儀介錯人・拝一刀とお見受けする」
「如何にも」
拝一刀は答える。
剣客集団は同時に編み笠を脱ぎ捨てると、刀を抜いた。
「我らはNERV藩元藩士なれば、藩主ゲンドウの仇討ちに参った。お覚悟召されよ」
拝一刀もそれに倣って刀を抜く。
「参られい」
拝一刀が静かに言うと、剣客集団は地面を蹴り、刀を振りかざして襲いかかる。ピュッピュッと、幾度か白刃が瞬いた。次の瞬間、NERV藩元藩士は首、胸、腹、それぞれから血を噴き出して倒れた。
首と胸を斬られた元藩士はそのまま倒れ込むが、腹を斬られた男だけは震えながら起き上がる。
「流石は元公儀介錯人・拝一刀。見事な腕前にござる。だが、この先もNERV藩元藩士が“ヤシマの陣”にて待ち構えておる。果たして我らが秘死陣中の計に……いつまで耐えられるかな……フフフ……」
それだけ言うと、腹を斬られた侍は倒れた。
拝一刀は前方を睨みつけ、その言葉を刻み付けるように「秘死陣中の計……!」とだけ呟いた。
拝一刀は変わらず乳母車を押していた。ガラガラと乾いた音だけが響いている。清流は未だ穏やかに。されど大五郎は瞳はその輝きを映さず、ただ静かに前を見据えていた。
やがて前方に三人の若き町娘が屈んでいた。町娘どもは和やかに話ながら籠に花束を積んでいた。拝一刀はその横を通り過ぎる。すると町娘は目の色を変え、花束から短刀、鎌、メリケンサックを取り出すと、拝一刀に襲いかかる。
拝一刀は振り返らず刀を抜き、背中越しに短刀を構えた少女の腹を突き刺す。
「グアーッ!」
短刀を持った少女が血を吐き出す。
その惨状に動じず、鎌を持った赤髪少女が拝一刀に襲いかかる。
メリケンサックを装備した青髪少女は腹を貫かれた少女を踏み台にし、回転しながら跳躍。乳母車の前に着地する。
拝一刀は短刀を持った少女の腹から刀を引き抜くと、血の軌跡を描いて鎌を持った赤髪少女の一撃を弾く。やがて返す刀で赤髪少女の胸を一閃した。血が吹き出す。
メリケンサックの少女は大五郎に殴りかかる。大五郎は乳母車のふちを叩く。備え付けられた長巻から刃が飛び出し、メリケンサックの少女の腹を貫いた。
「まだ!」
目を見開き、メリケンサックの少女はそのまま殴りかかる。しかし、一閃。拝一刀が投擲した胴田貫が胸を貫いたことで、完全に事果てた。
「見事なり拝一刀……我らが秘死陣中の計を見破るとは」
鎌の少女が震えながら起き上がる。
「ただの町娘に……姿を変えて見せたはずだが……」
「流石は秘死陣中の計。神仏も見通せぬような変装は見事なものなり。だが殺気があった」
「殺気か……。仮にも我らエヴァンゲリオンのパイロットを務めしチルドレン。ただただ……己の未熟さを……恥じるばかり…………」
瞳にもののふの迫力を宿した赤髪の少女は、悔しさに口から血を滲みだしながら果てた。
拝一刀が歩みを進めると、やがて周囲を岩肌に囲まれた地獄谷と呼ばれるところに差し掛かった。太陽は沈みかけ、岩肌の影に隠れていた。そこでは鞘に入れたままの刀を地面に立てた八人のNERV藩元藩士が、二手に分かれそれぞれ向かい合い正座していた。それは道であった。神聖なる道である。これぞヤシマの陣! その先に、汎用ヒト型決戦兵器エヴァンゲリオン初号機が鎮座していた。
「大五郎!」
拝一刀が呼びかけると、大五郎は乳母車の内部にあるレバーを引いた。すると乳母車の機構が音を立てて駆動し、瞬く間に汎用ヒト型決戦兵器エヴァンゲリオンに変形した。
NERV藩元藩士のひとりが唸る。
「ううむやはり拝一刀、エヴァンゲリオンを所持しておったか」
「しかし拝一刀は成人男性。なにゆえエヴァンゲリオンを操縦できるのか」
その問いに拝一刀が答える。
「我ら親子冥府魔道に生き六道四生順逆の境にあり。故にエヴァンゲリオンの操縦も可能!」
「なるほど、冥府魔道は人外の道。すなわちあの世に最も近い位置にあり、エヴァンゲリオンの操縦も可能……ということか」
NERV藩元藩士は納得がいった。
エヴァンゲリオン初号機とエヴァンゲリオン乳母車が向かい合う。地獄谷に、乾いた風が一陣過ぎ去った。
エヴァンゲリオン初号機はプログレッシブ・ナイフを抜く。
「エヴァンゲリオン初号機パイロット……碇シンジ」
拝一刀もそれに倣い、プログレッシブ・胴田貫を抜く。
「水鴎流……拝一刀」
「いざ!」
「うむ」
二者は同時に地面を蹴った。巨大な二つのエヴァンゲリオンが大地を揺るがす。両脇に陣するNERV藩元藩士は、まるで大地に根を張る大樹の如く片膝を立てて鎮座している。やがてプログレッシブ・ナイフとプログレッシブ・胴田貫が斬り結ばれる。閃光があたり一帯を照らし、岩肌の影を浮き彫りにする。斬り結ぶたびに、巨大な火花が散る。火花のひとつが両脇に鎮座するひとりの元藩士に降りかかる。
「ギャァァァーッ!!!」
元藩士は血潮をまき散らし蒸発して消えたが、周囲の侍たちは動じない。まるで石像の如く。そこは神聖なる道であった。
やがてエヴァンゲリオン初号機とエヴァンゲリオン乳母車は鍔迫り合いとなる。両者の力量は互角! ……否。初号機がわずかに押している。エヴァンゲリオン初号機は強く踏み込むと、エヴァンゲリオン乳母車を突き飛ばし、岩壁に叩きつけた!
地鳴りが起き、岩壁が崩れ落ちる。エヴァンゲリオン初号機はNERV藩で開発された公儀御用達のエヴァンゲリオン。対して拝一刀のエヴァンゲリオンは、公儀御用の鍛冶職人七郎兵衛が書いたエヴァンゲリオンの設計図を基に、拝一刀自らの手で製造したものである。性能差は大きい。……だが、あたり一面を大きな土埃が覆う。エヴァンゲリオンの腰のほどまで舞い上がる、大きな土埃だ。
エヴァンゲリオン乳母車は腰を落とし、プログレッシブ・胴田貫を土埃に隠すように構える。
「ムッ……!」
碇シンジは目を細める。これぞ天下に聞及ぶ水鴎流 波切の太刀の構え……! 拝一刀は土埃を水の流れに見立てることで疑似的に水鴎流 波切の太刀を再現したのだ!
エヴァンゲリオン初号機は、このまま土埃が収まるまで待つこともできる。しかし……
碇シンジは操縦桿を握ると、エヴァンゲリオン初号機を発進させた。
プログレッシブ・ナイフを構え。水鴎流 波切の太刀を破らんとする。次の瞬間、土埃を白刃が裂き──エヴァンゲリオン初号機は真っ二つとなった。
エヴァンゲリオン乳母車は静かにプログレッシブ・胴田貫を鞘に納める。一拍遅れて、エヴァンゲリオン初号機は十字型の閃光を上げて爆発した。
クレーターの中心に、爆発によって肌が焼けただれた碇シンジが座していた。もはや数刻も持たぬような瀕死の状態であった。それでありながら、碇シンジは背を正し、エヴァンゲリオン乳母車から降りた拝一刀を見据えていた。
「拝一刀……どの……一つ………お伺いしたきことがござる」
「申されよ」
拝一刀は答える。碇シンジは意識が遠のきそうになるのを、腹にグッと力を入れることで抑え、ポツポツと語り始める。
「お察しのとおり……我はNERV藩藩主碇ゲンドウの長男・碇シンジ。だが父上は私を遠ざけ……商人の家で…………育った。だが……私は武家の子である。さむらいの子である。かくかくたる碇家の…………だからエヴァンゲリオン初号機のパイロットになり……NERV藩に……だが父上はやはり、私を拒絶した……
拝どの……あなたに感謝申し上げたい。父の死の間際…………我らは、まことの父子として会話できた。そしてまことの武士として……父の仇を討たんと……!」
肌は焼き爛れ、息も絶え絶えの少年の言葉を拝一刀は静かに聞く。無言ではない。言葉ひとつひとつを刻み付けるかのように。
「拝殿……貴方にお聞きしたい。私は武士の子であっただろうか。まことの……ゲンドウの子で……」
「おぬしはまことの武士である。エヴァンゲリオン初号機パイロット碇シンジ。その名……」
拝一刀は碇シンジを見据える。
「忘れぬ」
シンジがギュッと目と瞑り俯くと、体を小刻みに震わした。拝一刀の言葉には力強さがあった。まことの力強さが。
シンジは顔を上げる。
「最後に……頼みを聞いてはいただけぬだろうか……」
「申されよ」
「元公儀介錯人の……貴方に……か、介錯を……お願い……つかまつる…………」
「承知」
拝一刀は片肌脱ぐと、ゆっくりと胴田貫を掲げる。その所作の美しさは、完全なる調和のとれた美しさであった。やがて岩肌の影から太陽が顔を覗かせ、二人のもののふを照らす。胴田貫の刃文が日差しを反射し輝く。NERV藩元藩士はみな静かに息を飲む。これぞ元公儀介錯人……これぞ拝一刀…………
シンジは脇差を抜き、静かに息を整える。そして、
「父上! 今こそ…………!」グッと腹をかっ捌いた。直後、胴田貫の白刃が閃き、パッ……と鮮血が空に瞬く。
NERV藩藩主長男・碇シンジの首は地獄谷の大地に転がる。
拝一刀は血を拭い、静かな所作で太田貫を鞘に納める。振り向くと、NERV藩の藩士たちがみな腹をかっ捌いて果てていた。
その光景に拝一刀は目を細める。
まことの兵たちの血で濡れた地面は、ニア・サードインパクト後の大地に似て……………………
『子連れ狼 VS エヴァンゲリオン』 完