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映画「桐島、部活やめるってよ」がつまらない人へ!視点を変えれば面白くなる理由

※ネタバレ含みます※

2012年公開の映画「桐島、部活やめるってよ」を見た。

実は今回が2回目。

正直、前に見た時は、ぜんぜん刺さらなかった。淡々と過ぎていく高校生のよくある日常。あー、あるよね、スクールカーストみたいなやつ。やだぁ。

終わった時に「え?もうおわり?」と思った記憶がある。

そして今回、アマゾンプライムで見つけて、懐かしすぎて、そんなに期待せずにもう一度見た。すると、ぜんぜん違った。

わかった。

この映画、神木隆之介を主役だと思っちゃダメなんだ。


映画「桐島、部活やめるってよ」とは?


学校一の人気者で、かつバレー部のエースである「桐島」が、ある日突然、部活を辞めたところから映画は始まる。

始まる…とは言ったものの、「桐島」は最後まで出てこない。

代わりに、「桐島」の周囲にいる登場人物の視点から「変化」が描かれていく。

この映画を楽しむ大きなポイントは、主役を神木隆之介だと思い込まないことだ。

前田涼也(映画部)は主役ではない


映画「桐島、部活やめるってよ」のポスターには、映画部の前田涼也(神木隆之介)が大きく映っている。それもあって、わたしは1回目に見た時に大きな勘違いをしてしまっていた。

引用:映画.com

「桐島」が1度も登場しないこの映画において、この映画の主役となるべきは「前田」なんじゃないか。神木隆之介のすばらしい演技も相まって、わたしは彼に注目してしまった。

でも、違う。この映画の主役は彼ではない。

彼を主役にしてしまうと、この映画はとたんにつまらなくなる。

なぜなら彼は悩まない。

「前田」にとって「桐島」は何の影響力もないただの他人。桐島が部活を続けていようがいまいが「前田」の人生は淡々と続いていく。それこそがこの映画のポイントだ。

途中で東原かすみ(橋本愛)にほんのり恋心を抱く描写があったり、映画部顧問から撮りたい映画を反対されたりするけれど、たいしたことじゃない。

「前田」はぶれない。

じゃあ、いったい誰に注目すべきなのか。

他人軸で生きる人と自分軸で生きる人の物語


映画「桐島、部活やめるってよ」で伝えたいことは、なんなのか。

この映画は総じて、自分軸で生きる人と他人軸で生きる人の人生が交差する物語になっている。

「桐島」以外に主役を立てるとすれば、それは間違いなく菊池宏樹(東出昌大)だろう。

【自分軸で生きる人】
前田涼也(映画部):神木隆之介
キャプテン(野球部):高橋周平
沢島亜矢(吹奏楽部):大後寿々花

メリット:
充実感を感じやすく、自分らしい生き方を追求しやすい
デメリット:
他人との関係構築が弱く、社会的なメリットを得にくい

【他人軸で生きる人】
菊池宏樹(野球部):東出昌大
飯田梨紗(帰宅部):山本美月
野崎沙奈(帰宅部):松岡茉優

メリット:
他人との関係構築がしやすく、社会的なメリットを得やすい
デメリット:
充実感を感じにくく、自分らしい生き方がわかりにくい

自分軸で生きる人の人生が充実しやすい一方で、社会的な地位や他人との関係構築が上手くいきやすいのは間違いなく他人軸で生きる人だ。

「菊池」はこの映画の中で、とても大事な他人軸メンバーの1番手にいる。

***

自分軸で生きる「前田」は、自分がしたいことを常に知っている。自分と他人を切り分けて、自分の判断で行動できるので、どんな時も自由だ。

「桐島」が部活を辞めることになったとしても、彼の人生への影響はそんなにない。「前田」の周りに起こる事件はゼロではないが、あくまで波のように伝わってくるだけのもの。

一方、他人軸で生きる「菊池」は、自分がしたいことがない。他人が認めていることしか行動できないので、不自由だし、指針となる「桐島」がいなくなったことで、自分が何をすべきか一切わからなくなってしまう。

どっちがいいとか悪いとかではない。ただ、映画の中では「菊池」や「飯田(山本美月)」、「野崎(松岡茉優)」などの他人軸組は、なんだかしんどそうに見える。

自分軸で生きる人の強さを思い知らされるのだ。

桐島が部活を辞めた理由


この物語の中心にいる無言のセンター「桐島」は、自分軸と他人軸のどちらに生きる人なのだろうか。

いわゆるスクールカーストの最上位にいた「桐島」は、クラスの陽キャ集団に属し、同じ陽キャ集団の「菊池」と親友で、かつ美人の「飯田」という彼女がいた。

周りにいた人間がみんな他人軸メンバーなので、一見他人軸で生きていた人なのかと思わせるが、それはおそらく違う。「桐島」が他人軸で生きていた人だとしたら、おそらくバレー部を辞めることはできないからだ。

「桐島」は陽キャ集団の中ではめずらしい自分軸で生きる人で、何か新しい熱中できるものものを見つけてしまったのだろう。

それは「桐島」にとって、バレーよりもずっと大事なものだ。

菊池が泣いた理由


「菊池」は、映画を撮る「前田」との会話の後に、突然泣き出す。

菊池:将来は映画監督ですか?アカデミー賞ですか?
前田:いや、たぶんそれはないかな。
菊池:え、映画監督になりたいからこんなことしてんじゃないの?
前田:いや、自分が好きな映画とか、そういうものに、こうやって映画撮ってると近づける瞬間があるんだよ、だから辞められない。

さらに、「菊池」は自分が以前所属していた野球部のキャプテン(3年)にもなぜ部活を続けるのかと聞くシーンがある。ドラフトで指名されることはないとわかりながらも「一応ドラフトが終わるまでね」と答えるキャプテンに対し、素直に驚く。

キャプテンは菊池の手前、なんとなく「ドラフトが終わるまで」と答えてはいるが、本当の部活を続ける理由は「好きだから」以外のなにものでもない。

他人軸で生きている「菊池」には、行動の意味が必要だ。映画監督になって他人に認められるとか、アカデミー賞をとるとか。ドラフト指名されるとか。

映画が好きという理由だけで動く「前田」や野球が好きという理由だけで動く「キャプテン」のように、「菊池」は動くことができない。

好きだと思っていた放課後のバスケさえ、続けられなくなってしまうのだから、重症だ。「桐島」を失った「菊池」には、もう何もできない。

***

映画の大きなメッセージとしては、「自分軸で生きることの大切さ」がふんわり香る。ただ、現実世界では、必ずしも自分軸で生きることが正ではない。

これから先「菊池」がどんな人生を歩むかわからないけど、彼がどちらを選んだとしても彼が満足できる決断になればいいなと願う。

この映画の主役は、やっぱり「菊池」だった。

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「桐島、部活やめるってよ」がつまらなかったあなた。今度見る時はぜひ、「菊池」に注目してみてほしい。


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