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終わりなき日常

前回の記事で大学4回生の時に留年してしまった事と、その時感じていた不安や焦りについてお話しました。考古学を続ける自信が無くなった私はそれと同時に、自分から考古学を取ったら、一体何が残るかを考えるようになりました。すると、自分自身がこれまで信じてきた物や、当たり前と思ってきたものがガラガラ崩れていく感覚に襲われました。ある意味、これまで「自分にはこれがあるから大丈夫」と色々考えてこなかった現実と向き合わなくてはいけなくなったのでした。今回はその時に出会った考え方についてお話します。

↓ 前回の記事です。

剥き出しの自分の危うさ

それまで自分の強みとしてきたものを一旦手放した時、今思うと結構精神的に危険な状態だったと思います。この頃大学の友人も、公務員の試験勉強が上手くいかずネットワークビジネスにハマりかけることがあって、勧誘ビデオを見せられた事がありました。これまでの信じてきたものを無くした時や、そこから逃避したくなった時の弱っている状態はそういったいかがわしい物が入り込む余地を作ってしまうのだと後で知ったのでした。ちなみに勧誘ビデオでプレゼンしていたのは、いかにも下品な身なりと振る舞いで「私はこの間ドバイに行きましてね!」等と羽振りの良さをアピールする金ピカおじさんで、全く私には響かなかったです。友人はその後親に泣かれた事で我に帰り、結局公務員を受け直して地方公務員になられました。私の理詰めの説得より、親御さんの涙が勝ちました。

そして宮台真司にハマる

考古学から距離を置いた私は、自分自身のこれまでの考え方や、価値観自体が揺らぐようになっていました。その時たまたま立ち寄った今は無き近鉄奈良のビレッジバンガードで一冊の本と出会いました。それは社会学者宮台真司の本でした。

宮台真司の事は全く知らなかったのですが、この本を手にする数年前、宮台真司はコギャルブームの中、援助交際(今はパパ活か)、ブルセラ(ブルマ、セーラー服の略。死語ですね。女子高生が売ってお小遣いにしてました。)テレクラ(これも死語。テレホンクラブ。スマホ以前の出会い系店舗)等を社会学の対象としてフィールドワークをしていました。「朝まで生テレビ」やワイドショーによく出ていた怪しいブルセラ社会学者という印象で覚えている人もいるかも知れません。この本は、宮台真司の当時の過激で常識を覆す社会の事象に対する解説が読みやすい一問一答形式で書かれており、まず感じたのが強い違和感(読んでいて腹が立つけど引き込まれる)、そしてその後に頭をシャッフルされる感じの衝撃を覚えています。

それまで田舎の保守的な価値観の下で育った自分としては受け入れ難い性愛の現実や社会の歪さを綺麗事なしで語り、しかも難解な言葉でなく分かりやすい。社会学っていかにも硬そうで理屈っぽいイメージでしたが、こんなに生々しいリアルな学問があるのだと知ったのでした。

そして、今まで自分がいかに社会を見ようとしてこなかったかを宮台真司に出会って知らされたのでした。考古学という自分の強みやマニアックな領域に閉じこもることで、自己防衛していたのかも知れません。

「終わりなき日常を生きろ」

宮台真司の本に「終わりなき日常を生きろ」という代表作があります。この本はざっくり言えば、オウム真理教的な価値観からの脱却を説いています。オウム真理教の思想の根底にハルマゲドンという終末思想的な考え方があり、それを実行しようとしたのが地下鉄サリン事件だったのですが、何故彼らは世界の終わりを求めたのか。そこには実はコインの裏表の関係として、戦後高度経済成長以降の日本の社会のあり方や日本人の価値観があると。その価値観は良い学校を出て良い会社に入れば安心とか、努力すればいつかは報われるとか、社会は右肩上がりに豊かになるといった、常に生きる事に対して「意味」を求める生き方(常に見返りを求める生き方)を指します。意味を求める生き方は、一部の成功者や富裕層にとっては都合良いかも知れませんが、そうなれなかった場合や、生きる意味が迷走した場合、オウム真理教の様に社会を根底から覆そうとする人も出現させます。実際、オウム真理教の幹部はエリート大学出身者が多くいました。

当時宮台真司はオウム的な生き方に対して、援交女子高生の生き方を引き合いに出し、意味を追求するのではなく、まったり「今ここ」を楽しく生きる生き方を推奨しました。それを「終わりなき日常を生きろ」と言ったのでした。

↑ 押井守監督のうる星やつらの映画。文化祭前日を永遠にループする状況が「終わらない日常」を表しているように見えます。涼宮ハルヒの憂鬱のエンドレスエイトがこの作品のオマージュとして有名です。

終わりなき日常もしんどい?

当時、この本を読んだ私は影響され過ぎて、何かと友人に議論を吹っかけたり、意味的な生き方を嫌悪していました。とてもイタい奴でした。怪しい宗教の影響かと心配された事もありました。しかし、それでも根気よく付き合ってくれた友人には本当に感謝です。私が完全に引きこもってしまわなかったのも、友人の存在があったからだと思います。

そして、私はその後どうなったのか?宮台真司より授かったイデオロギーに準じて行動したのでしょうか?実際、大学で社会学を学び直そうと思った時期もありましたが、結局そこには向かいませんでした。本を読んで社会を知った風なのも嫌なので、社会経験と思い、大学卒業後某服飾小売店でアルバイトを始めてみました。社会を知るためには、まず人を知らねばと思ったのです。大学時代は発掘調査しかした事が無かったのですが、採用担当の社員さんがたまたま考古学を大学で専攻していた事で、話が合って拾ってもらい一年くらい働きました。その後、接客より踏み込んで人と関わる介護に興味を持ち、福祉の専門学校に入学し直す事になったのでした。

曲がりなりにも社会に出て、今は介護の仕事をしていますが、今も根底に宮台真司の思考はある気がします。しかし、そう簡単に人生はまったり楽しさを追求して生きる事だけをさせてはくれません。生活もあります。宮台真司自身がその後の援助交際をしていた女性を取材したところ、その後に彼女達は精神疾患を抱えているケースが多かったと話しています。実際にまったり楽しさを追求する生き方に簡単にシフトできるほど社会や人の価値観は変わっていないのかも知れません。その意味でオウム真理教の事件は過去の事にしてはいけないと思います。

実際のところ、まったり生きるだけでは人生が弛緩して、緩急のないつまらない時間に感じてしまいそうです。宮台真司はそのために非日常性の祭りが必要であると言っていました。

私も40歳を過ぎて、これから自分の子どもを作れるようにも思えないし、でもまだ人生は続くみたいです。アラフォーに差し掛かってから、一人旅に出る様になり、遺跡や温泉を巡るようになりました。私の中でこの楽しみが非日常を感じる大切な場面です。

小さい頃は地元の祭りが大好きでした。祭りが近づくだけで血湧き肉躍る感じでワクワクしました。そんな故郷から出て、祭りに参加しなくなった私にとって、旅はそれに代わるもののように感じるのです。私にとって旅は終わりなき日常を生きる術と言えます。

宮台真司は「意味から強度へ」と言っていました。見返りを求めず、濃密な生き方をする事を指します。社会が成熟して不透明になって来た時、人々の中で何が幸いかも分からなくなります。その社会では誰もコレが正解とは教えてくれないので、自分の軸で生きていくしかありません。私の今の価値観は、楽しむ時はひたすら楽しんで、何かのせいにせずに自分が選んだ生き方を全うするだけかなと思うのです。そういう意味で、未だにミヤダイズムの影響が大きいと思うのでした。

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