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業務日誌202411_3 パフォーマンスの活字化/書籍化について 鈴木ジェロニモ著『水道水の味を説明する』(ナナロク社)

 最近、黒澤明の『用心棒』を見返して、ラストの決闘シーンの設計の精緻さに驚いた。
 しんでんの卯之助(仲代達也)率いる博打うちの集団と三十郎(三船敏郎)がじりじりと距離を詰め、卯之助の「あんまりこっちに来るんじゃねえ!」という叫びをきっかけにして戦いが始まる。そこから卯之助が斬られるまでの流れはこんな具合だ。

 ①三十郎、敢然と歩き出す。
 ②卯之助たち、愕然。
 ③→④三十郎、懐から腕を出し、向かって右へ跳ぶ。
 ⑤→⑥卯之助、同方向へ跳び、銃を構える。
 ⑦三十郎、懐から出刃包丁を抜く。
 ⑧卯之助の発砲と同時に三十郎、逆方向へ跳びつつ出刃を投げる。銃弾は三十郎が立っていたあたりに着弾。
 ⑨出刃、卯之助の右前腕に刺さる。
 ⑩三十郎、抜刀しつつ卯之助に駆け寄る。
 ⑪卯之助、天に向けて発砲。出刃を抜こうとする。
 ⑫三十郎、卯之助を斬る。

 これらが10秒に満たない時間の中に配置されているのだが、各カットの構図や尺、佐藤勝の音楽が始まって止むタイミングがほんの少しでも違っていたら、あの何が起きているのかがストレートに目から脳に突き刺さる圧倒的な明快さや躍動感、血が沸いて喉の奥がグッと熱くなる感じは実現されないのだろう。

 おそらく本を編集することも、そのような技術によるところが大きい。
 最近の新刊でそうした技の鋭さに本当に唸ってしまったのが、鈴木ジェロニモ著『水道水の味を説明する』(ナナロク社)だった。

『水道水の味を説明する』(ナナロク社)

装丁 : 名久井直子 写真 : 井上佐由紀

 本書は鈴木ジェロニモさんの「説明」を書籍化したものである。
 音声コンテンツやお笑いのネタなど、肉体によるパフォーマンスをその面白さを損なうことなく活字化することは、とても難しい。声を文字にするとは、発声された言葉の意味以外のものをひとまず脱色し、声音や間などの身体性を削ぎ取ることだ。当たり前だが、そこに言語の要素があるから、かろうじてその部分だけを活字にすることができる。その前提に立って、オリジナルが持っている面白さを再現するための様々な企てが実施されていくことになる。書籍化が前提とされている場合、テキスト編集のレベルを超えて、造本のディレクションにおいてもそれが検討される。

『水道水の味を説明する』本文では、ある対象(水道水の味や造花の匂い、一円玉の重さ等)を「説明」するフレーズが1ページに1つから3つ、大活字でぼつりと印刷されている。ある間隔をおいて、ノンブルのみが印刷された白いページとモノクロの写真(「説明」の対象と著者が被写体)が挟まる。
 そのフォントスタイルやレイアウトによって醸されるテンポ感やたちのぼる声の感じが、まさに「説明」の動画を見ている時のそれとしっくり一致している。白ページと写真も、たまに来る長考の時間を再現する休符として、また「説明」の発声と不即不離な著者のニンを繰り返し印象づける句読点兼ビジュアライザーとして効果的に配置されている。
 これは組版の工夫や、ページを繰って前へ進んでいくしかないという書籍の本質的構造を利用した編集が、活字化というプロセスで切って捨てられた身体性や時間の代替物として機能しているということだ。

 表紙・カバー・オビ等の外回りのデザインについてもそう言える。
 著者の決まり衣装であるモノトーンのセットアップ、感情や心理の排された発声、「説明」の動画でのいつでも白い背景が踏まえられた、白地コート紙にぱりっと映えるモノクロ写真と一色印刷。オビ用紙はつつましい質感の白いファンシーペーパー。
 この本全体が、「説明」における鈴木ジェロニモさんの透明でありつつクラシックな雰囲気・様子と、パフォーマンスそれ自体の魅力と面白さを一冊の書籍としてトータルに体現している。すごい。

 実は「説明」の動画を初めて見た時、私も「これは本になるのではないか」と考えたことがあった。しかしどうやったら本になるものか、皆目見当がつかなかった。「1ページに1フレーズというわけにもいかないだろうし……」などと考えていたような気がする。

 ところが、目の前にある『水道水の味を説明する』ではそれが何ほどのこともなく、自然に成立している。実際に作られたものを見ると、これ以外にないという感じだ。
 やっぱりチャレンジングな方向で「これで成り立つのだろうか?」と思うものがあったら、一度探るだけでもやってみちゃえばいいのだなと当たり前のようなことを思ったが、今回の場合はドンと余白をとった版面や、歌集や句集というものの制作に企画者/制作者が慣れていなければ、なかなか具体的に「やってみちゃえばいい」に移行することはできないだろうし、またここまで行き届いた仕上がりにはならなかったのではないか。
 傑作歌集を多数刊行し、『たぷの里』や『ぞうのマメパオ』(いずれも藤岡拓太郎著)など意欲的な絵本を形にしてきたナナロク社さんならではの、完璧な書籍化だと思う。

 帯文もすごい。谷川俊太郎さんが、帯コメントの依頼を断った文言が載せられている。
 先日、詩人の訃報に接して、手元の岩波文庫の自選詩集や『夜のミッキーマウス』、『シャガールと木の葉』などに収められた作品をぽつぽつ読んだ。改めて、なんと静かな詩だろうと思った。そして谷川さんの詩からは、なぜかいつでも「白い」という印象を受けてきたことに『水道水の味を説明する』のさっぱりした姿に導かれて気がついた。白くて静かで、この本のオビの用紙のような、少し繊維感のある手触り。
 ご本人の白いTシャツや白髪の印象が強いからだろうか、などと考えていたところで、吉増剛造さんが朝日新聞に寄稿した追悼文を読んだ。

 他愛ない連想で、自分が感じていた白さが骨の色だったような気がして少し動揺しつつ、動植物や鉱物その他の、言葉や声を持たないものにしか聞き取れないはずの「骨の声」を通訳してくれているのが「説明」なのかもしれないと思ったりした。

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