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夫の浪漫は妻の不満ってどうなの

逆も当然あります。

要は

「自尊心を満足させられる生き方が幸せ」と、

信じている頑張り屋さんが多い現代ということ。

男女平等なのですから、

どちらもそれを止める権利は無い訳ですし、

止めたらけんかは必至です。

浪漫を実現しようとするだけ、

「相対的に我欲が満たされない側」は、

「私ばかり損だ」

とか

「かっこつけやがって」

などなど、

自尊心にとらわれて

そして、

「怠け心」や「物金にとらわれる心」まで総動員?されて

不満になる訳です。

浪漫を追い求める方も、

それに付き合わされる方も、

なかなか一つにはなれない訳です。

心のベースが、

「自分のしたいことをしたいときにしたいようにしたいだけしたい」

のですから大変ですよねぇ。

「妻の楽しみは夫の苦しみ?」

ということもあるかもしれませんね。

これだって、逆もあります。

夫婦がしんから仲良くなることって、

自由な世界では無理かもしれません。

そう思いませんか?

残念ながら、私はそう思っているのですよ。

そもそも、

お互いに「人間性」を尊敬し信頼し合える関係が希薄なのですから。

で、

そんな「マウント合戦的な関係性」が積み重なると

どういうことになっていくのかというと、

「それぞれ自由に生きましょう」

となる訳です。

なりますよね。

そこに「欲」はあっても、「愛」は無いですから。

だいたい、結婚自体が「我欲の一致?」で始まったのかもしれません。

一致したのは最初だけで、

だんだん

「あれ? 楽しくないんだけど」

って、分かってきた。

まぁ、「かたち」はあっても、

基本は

「自分のことは自分でする」

ですから、

行きつく先は「同居人」のようなものでしょう。

かっこう良く言えば

「パートナー」

ということです。

たまたま、

「夫婦別姓」のこと、「少子化」のことの本を読んでいて、

そのことに対して、主張している人たちの「姿」を

ネットでも視聴していて

「なるほどなぁ」と、

思うところがあった訳です。

はぁ。

ほんと、

自由って、不自由にもなりますねぇ。

止められませんから。

悩ましいです。

人生は芸術である、楽しかるべきである。         

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